藤沢武夫
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重役は何もしなくていい。俺もそれでやってきた。何もないゼロの中から、どうあるべきかという問題を探すのが重役の役目で、日常業務を片付けるのは部長以下の仕事だ。所長であったり重役であったりするのは、対外的な面子もあり、交渉のときにまずいからそうなっているだけで、重要な問題ではない。だから、役員は全部こっちへ来て、何もないところからどうあるべきかを探してほしい。
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株にだって手を出せないわけではないんですが、私はやりません。自分の身の回りはいつもきれいにしている。だから、みんながついてきてくれる。つまり、私が何を言っても安心していられるのは、私の身のきれいさ――それは金の問題に関してですが――それが重要なポイントです。そうすれば、私が苦しむときに、みんなも苦しんでくれるといえます。
物価が倍々と上がってゆくような、戦後のインフレの時代では、多少持っていた戦前からのお金もどんどん消えてゆく状況だったが、でも私は、自分の一生をかけて、持っていた夢をその人と一緒に実現したいという気持ちだった。そこから私はスタートしたんです。
ホンダは役員も一般の従業員と一緒の食堂で昼食を食べることになっているのですが、ホンダの工場でライスカレーを食べたら肉が入ってなかった、と言ってくれた人がいた。あんなものを食わされていたら、みんな働く気がなくなるんじゃないかと親切に言ってくれた。食事の不満は何かの形で爆発するものです。たとえば、旧制高校の賄い征伐とか、軍隊でのそれです。では、不満の内容にするにはどうすればいいか。それには、労働組合と会社側とが一体になって運営すればいいのではなかろうかと思った。
私は商売人だから、これからいっしょにやるけれども、別れるときに損はしないよ。ただし、その損というのは、金ということではない。何が得られるかわからないけれども、何か得るものを持ってお別れするよ。だから、得るものを与えて欲しいとも思うし、また得るものを自分でつくりたいと思う。
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人間の能力というものは、いろいろあって誰しもオールマイティというわけでなく、それぞれ得意とするものを持っている。だから、社長は社長で、その得意とするものに全力をあげてもらって、あとのことは心配をかけないように、みんなで分担するのです。
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正直なところ、この本を私は出してもらいたくなかった。この本はベストセラーになりました。世間に拍手され、ジャーナリズムの取材が殺到すれば、本田だって自分はこれでいいんだと思ってしまう。そうではない、もっとこういうものが必要なんだということを彼に言いにくくなる。極端にいえば、そういう意見を言うことが焼きもちを焼いているようにとられることも、本田技研の成長のためには思わしくない。
芸術というものが人と人との触れ合いから生まれるものであるとすれば、家庭も芸術でなければならないし、経営も芸術だろうと思うんです。物ではなく、心である。ロマンチストとしての私の企業経営との接点はそこにあるんじゃないでしょうか。
私は技術屋じゃないから、どっちが正しいか返事はできない。ただ、あなたは技術屋の本田になるのか、社長の本田になるのか聞きたい。こんなことを言うのは初めてだけど、私も言いだすと聞きませんから。そのときはお別れします。
会社だけで運営していると、どんなに金を出してやっていても文句が出るものです。自分たちの仲間が一枚かんでいるとなれば、そうもいかない。
子供にあんな思いをさせている自分が経営者として情けない。
創業者と普通の経営者とは、ちょっと違うと思うんです。創業者はいわば一種のバクチ打ちですね。どんな浮き沈みがあるかわからない。だから、小心な女房では駄目だろうと思う。結局、亭主の足を引っ張ることになりかねません。創業者の奥さんはかなり度胸がよくなけりゃあならないと思います。
私は最近、自分がいまの時代に遅れているんじゃないかと、寂しく思うときがあります。遅れているとしても、それはもう、どうしようもない遅れなんですね。だから、私より歳をとっている人は、余計そう感じてもいいと思います。
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新本社ビルの建設について、全社から集めた700のアイデアが生かされています。700人の名前が記録に残され、社長から感謝されています。「一将功成りて万骨枯る」には私は反対です。一将功成って万骨が生きなければならない。だいたい社長一人が知恵を出すという企業は大したものにはなりません。
順序を変えなければ企業は失敗する。それは、「お客様の喜び」を第一番目にしなければならない筈だ。その喜びがあって初めて「売る喜び」があるはずである。その2つの喜びの報酬として「作る喜び」になるのが順序である。
本田が若いときに自動車レースをやった多摩川の河原に、ときどき連れていかれました。一周600メートルぐらいで、競輪もやれば、競馬もやるというようなところです。そこに方々のメーカーがオートバイを持ってきて、ホンダが勝つこともあれば、負けることもあるというレースをやっているうちに、部品も進歩してきた。トラブルが起きるたびに飛んで行って、その悪い点を直させてゆくのです。
私は仕事を片付けるとき、あとでそれがガンにならないよう、多少手荒なことがあっても、将来のことを第一にいつも考えていました。
本田をある特定の分野ででも超えてゆかなかったらホンダの発展はありません。そうなってこそ初めて企業は安泰になっていく。時代とともに進んでいくんです。あの人の出す知恵がいつもみんなより優れていた日には、ほかの連中が困ってしまいますよ。働いている意義が小さくなる。
実力もないのに、と思いながらも、現実の困った状況についてくどくど言わずに、将来の夢と目標を宣言したわけです。これで私はみんなのシュンとした気持ちを盛り立てられればと思った。これはかなり効果があったと思います。世界を目指しているんだという具体的な行動を示したということです。従業員に金をやるといっても金はないし、借りてきたとしても、それは取引先にまわさなければ顔向けができないし、という状況での苦肉の策がマン島のT・Tレース出場の夢だった。
ものをつくるにしても、買う方に変化がないときにつくる企業と、刻々と情勢が変化するときにものをつくっていく企業――常に先手を打っていかねばならん企業――と、どちらが進歩するのか、これははっきりしている。
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