藤沢武夫の名言
ホンダ副社長、最高顧問
藤沢武夫の名言。全76個。
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ホンダはものをつくる会社なんです。ですから、どんなに儲かる話があっても、その話には乗らない。儲けるならみんなの働きで儲けるんだということを、ホンダの金科玉条にした。
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他社がどんどん儲けているときでも、ホンダは便乗しないから儲かりません。その代わり、本物をあくまでも追求するということで、よその経営者と違って、本田宗一郎は、自分の納得できるものだけを求めたのです。
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ものをつくるにしても、買う方に変化がないときにつくる企業と、刻々と情勢が変化するときにものをつくっていく企業――常に先手を打っていかねばならん企業――と、どちらが進歩するのか、これははっきりしている。
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対策を考えることと、それを解決することと、どちらがレベルが上かといえば、それは考えることの方が上です。その思想に基づいて、解決策が生まれてくるんです。
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採算に合うか合わないかということより、一番大切なことは、自分たちは何をしてきたかということ。金なんてものはいつかなくなる。
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ホンダほどプロジェクトの多い会社はないんじゃないでしょうか。エキスパートがたくさんいるから、何かあるときは、サッと集めることができます。それぞれの知恵を効率よく生かす組織ができているからです。
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鈴鹿でみんなに言ったことは、帰りのお客さんの顔をよく見て商売しろ、ということでした。つまらなそうな顔をして帰ったら、もう二度と来ない。それが商売の鉄則だということです。
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社長にはむしろ欠点が必要なのです。欠点があるから魅力がある。付き合っていて、自分の方が勝ちだと思ったとき、相手に親近感を持つ。理詰めの者では駄目なんです。
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金を使うようなことばかり私は言い出すんですよ。そうすると、みんなはその趣旨に十分叶うようにしながら少ない金で済むように考えてくれる。金を使おうという提案は、従業員の方からはなかなか出しにくいものです。
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禍を福に転ずることができるかどうかは、経営者が仕事の根本にかえって問題を考えるかどうか、そして大胆に行動しうるかどうかにかかっていると思います。
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金を持っている人は、その金をもっと増やしたいとか、権力を得たいとか、そういう欲があるでしょうが、私は何しろ仕事がしたかった。自分の持っている才能の限界を知りたいというのが私の夢だった。
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どんな能力を持っている人でも、上役に変な人がいて、その上役だけの評価で判定されると芽が出ないものです。だから、いろいろな方向から見てやることが必要です。
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会社だけで運営していると、どんなに金を出してやっていても文句が出るものです。自分たちの仲間が一枚かんでいるとなれば、そうもいかない。
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我々は、能力の高い人を常に掘り出す仕組みを、考えておかねばならないんです。それに最も詳しいエキスパートが直ちに集まり、知恵を出す仕組みをつくることです。
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苦労しても、流通のパイプは自分でつくらなければいけません。一度つくってしまえば、それは自分のものですが、他人のパイプに便乗すれば、それがいっぱいになったときには、たちまち弾き出されてしまう。
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前に建っている国鉄労働組合に行ってみろ。書類がこんなに重なり合っている。その隣の東京都庁に行ってみろ。机の上に書類が積んである。これは能力がないという証拠なんだ。そんなことでいいはずがない。
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布を織るとき、タテ糸は動かず通っている。タテ糸がまっすぐ通っていて、はじめてヨコ糸は自由自在に動く。一本の太い筋が通っていて、しかも状況に応じて自在に動ける、これが「経営」であると思う。
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竹は温暖なところでは節と節の間がのんびりと伸びてしまうので、強風や雪にあうと折れやすい。しかし風雪に耐えた竹は節と節の間が狭く、がっしりと育ってたくましい。
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生産企業では、つくっている商品で儲けているということで、技術者にしても、現場の人たちにしても誇りを持つことができる。俺たちが一生懸命働いているから会社が成り立っているんだということです。
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私は仕事を片付けるとき、あとでそれがガンにならないよう、多少手荒なことがあっても、将来のことを第一にいつも考えていました。
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一人で考えている理論には進歩がない。ものごとは、みんなが知恵を出し合うことによって、どんどんいいものになってゆくことが多いんです。
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企業には良いことも悪いこともあるのだから、わざわいを転じて福とする、その橋を見つけ出すことが経営者の仕事なのだと思っています。
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いままで、どこの企業でも、人間の個性というものが十分に発揮できないような仕組みでやってきている。だから組織を変えても、長を入れ替えても、ちっとも変わり映えしないんです。
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大きな夢を持っている人の、その夢を実現する橋がつくれればいい。いまは儲からなくても、とにかく橋をかけることができればいい。
藤沢武夫について
藤沢武夫は創業間もない本田技研工業(現ホンダ)に経営パートナーとして入社して販売や経理を取り仕切り、本田宗一郎とともに本田技研工業を世界的企業へと成長させた人物。本田宗一郎はおもに技術面を担当し、藤沢武夫は販売、財務、総務などの経営面一般を担当。二人が協力し合って経営を進めた。