為末大
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本当に勝利に意味はあるのかと考えこむのと、本当に勝利に意味はあったのかと考え混むのでは、後者の人生を生きたいと思う。
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自分で考えることは大事なのですが、そのためにはある程度、基本になる考え方の型を自分の中に持っていなければいけない。
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僕がとても好きな言葉は「自在でありたい」というものです。競技者だったころから、そのとおりだなと思っていました。特に僕は社会の目から自在でありたい。元アスリートの話を聞いていると、なかなか目標を切り替えられない人が多いのです。ほんとうに周囲の目から自在になって、新しいものをきちんと見るようにすれば幸せ感も高まるし、もっと新しい人生が開けるはずです。
選手時代、人が資料を作ってくれることにたいして気を使わなかったけれど、自分でやってみて感謝するようになった。誰かが紹介するということはある種の信用貸しなのだけれど、これを他人にするようになり、意味がわかるようになった。
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謙虚になろうとしてるなら今の自分は果たして謙虚なのか?なってないから人はなろうとする事ができる。
僕は米国で1人になる時間が多くて、「速くなって何の意味があるのか」などと、自問自答ばかりしていました。明確な答えが見つからないことの方が多いけれど、一体、自分の問題意識の矛先がどこに向いているのか、はっきりしてくる。そこには自分の軸となる要素があって、それを見つけるためにも、自問力は重要だと思います。
成績を出した過去の自分と競争するのではなく、今の自分の力を最大限出そう。
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いやらしい話、おごられたことを覚えている若者を私は優遇する。仕事ができるかどうかはわからないけれど、そいつはたぶん信用できる。
賞賛され続けていると、自分の考えが間違っていないと思い込んでしまう。
コーチがいないことで潰れてしまうスポーツ選手も結構いる。
糸は垂らす事ができる。けれどもつかませることはできない。
僕がハードラーとしてひとつのことに25年を費やしたのは、気持ちが強いわけでもなんでもない。毎朝同じものを選び、他の可能性をあきらめ続けただけ。
他者の評価で満足を得ようとすると、世論から距離を置けなくなり、本来の自分の軸がブレる。
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意味は無い。しかしそれは問題ではない。問題は意味が無い事をなぜあなたが問題だと思っているかだ。
一般的に言われる努力は、目標に向かって力を尽くして積み重ねる行為をイメージします。1時間の練習を2時間やったら、2倍努力したと言う。でも、行動前に、「自分が何をやるべきなのか」「何のために実行するのか」と考える努力は、日本人はあまりせず、人任せにする場合が多い。僕は、こうした自問する作業は、「努力」という行為の半分以上の領域を占めると思っています。
たとえば僕が会社をひとつ上場させて名誉職にでも就けば、周囲は「あの人は成功した」と思うでしょう。一方で、これもたとえ話ですが、ウガンダに行って陸上の普及に人生を賭けたものの最後に銃殺されてしまえば、「あの人は失敗した」と言われるかもしれません。でも、どちらの人生が幸せで成功したかは僕にしか分かりません。つまり、どんな人生を送るにせよ、自分が考える成功を追いかけるためには、社会の目や批判から自在であることが非常に重要だと思います。
50年後ぐらいには、昔の五輪って国対抗だったらしいよと言われてるんじゃないか。
「こうしたい」という強い動機を持ち、「すべての挑戦は失敗ありき」と考えられるかがポイント。
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「自分がなぜそれを目指すのか」と認識している人は、失敗しても、この失敗が自分にとって何を意味するのか、どんな影響があるのかという解を見つけやすい。
成長の鍵は、自分が大事だと思い込んでいる「どうでもいいこと」を、どれだけ少なくできるかにある。
為末大のすべての名言