為末大
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自由というのはリスクを伴うもの。
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挑戦した価値や、失敗からの教訓を重視できれば、立ち直りは早くなるはず。
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究極の世界を覗いて認識を変えてみる。例えば、宇宙についての話を聞くとか、1000年後を予測する人の文献を読むとか、世界一に挑戦する選手の姿を見るとか、世界の貧困層について調べてみるとか。それで何かが急に変わることはないけれど、自分の悩みの内容の狭さに気づき、認識が変わる。無理にポジティブに考えようと思い込むより、自然と前向きになれると思います。
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糸は垂らす事ができる。けれどもつかませることはできない。
引退後のアスリートが不幸に見えてしまうのは、分かりやすい成功のイメージのみが残ってしまい、ついうしろを見ながら生きていくからです。これは元アスリートが抱える切ない問題で、どうしても「あのとき」に縛られてしまうんですね。
人は子どもの頃、他人が自分をどう扱ったかで自分の扱い方を学ぶ。そして大人になったら自分で自分をどう扱ってるかを見て、他人はあなたの扱い方を決める。
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賞賛され続けていると、自分の考えが間違っていないと思い込んでしまう。
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年をとって人里離れた所で農業を営んでいる。いつもと同じ農作業の途中でいつもと同じ事を僕が話しだす。「僕は一体何ものなのか」もう何千回も聞いた同じ話を、一回目と変わらず微笑みながら君が聞いている。それが幸せだと思ったので入籍しました。お互いがお互いであるだけで、何も望まず求めないような、そんな夫婦を目指して行こうと思います。
成績を出した過去の自分と競争するのではなく、今の自分の力を最大限出そう。
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僕は米国で1人になる時間が多くて、「速くなって何の意味があるのか」などと、自問自答ばかりしていました。明確な答えが見つからないことの方が多いけれど、一体、自分の問題意識の矛先がどこに向いているのか、はっきりしてくる。そこには自分の軸となる要素があって、それを見つけるためにも、自問力は重要だと思います。
選手時代、人が資料を作ってくれることにたいして気を使わなかったけれど、自分でやってみて感謝するようになった。誰かが紹介するということはある種の信用貸しなのだけれど、これを他人にするようになり、意味がわかるようになった。
生きる事に意味は無いと言う事がなぜ言い憚られるか。それは意味が無いものは存在してはいけないとどこかで皆が思っているから。だから意味があると言う。
僕がとても好きな言葉は「自在でありたい」というものです。競技者だったころから、そのとおりだなと思っていました。特に僕は社会の目から自在でありたい。元アスリートの話を聞いていると、なかなか目標を切り替えられない人が多いのです。ほんとうに周囲の目から自在になって、新しいものをきちんと見るようにすれば幸せ感も高まるし、もっと新しい人生が開けるはずです。
50年後ぐらいには、昔の五輪って国対抗だったらしいよと言われてるんじゃないか。
自分で考えることは大事なのですが、そのためにはある程度、基本になる考え方の型を自分の中に持っていなければいけない。
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成功をある程度成功率が高いものにおくのであれば、努力すれば夢は叶うと思う。でも五輪選手になるとか、かなり少ない席の話であれば誰でもできるわけではなくて、才能と、環境がまず重要だと思う。
たとえば僕が会社をひとつ上場させて名誉職にでも就けば、周囲は「あの人は成功した」と思うでしょう。一方で、これもたとえ話ですが、ウガンダに行って陸上の普及に人生を賭けたものの最後に銃殺されてしまえば、「あの人は失敗した」と言われるかもしれません。でも、どちらの人生が幸せで成功したかは僕にしか分かりません。つまり、どんな人生を送るにせよ、自分が考える成功を追いかけるためには、社会の目や批判から自在であることが非常に重要だと思います。
結果じゃないんだよ、大事なのは努力と苦しみなんだ。
一般的に言われる努力は、目標に向かって力を尽くして積み重ねる行為をイメージします。1時間の練習を2時間やったら、2倍努力したと言う。でも、行動前に、「自分が何をやるべきなのか」「何のために実行するのか」と考える努力は、日本人はあまりせず、人任せにする場合が多い。僕は、こうした自問する作業は、「努力」という行為の半分以上の領域を占めると思っています。
偏ってないってことは誰かと替えがきく存在になるって事だと思うんですけどね。
為末大のすべての名言