小田和正
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単純に兄貴がやっていたから。なんせ、なんでも兄貴のやることをおっかけていた。野球もそうだし、音楽もそうだし、合唱もそう。
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理想を後回しにせず、いつも期待し、期待され、「やったね」といえる仕事をひとつひとつ積み重ねてゆきたいと思っています。
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歌詞には、ずっと苦しんでいるよ。たった2つ、しかも、目新しくもない単語を書くのに、一日かかることだってある。
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手紙を見たとたんに、すぐ曲のことを考えていたな。どういう曲で書けるか、前に学校にも曲を書いたことがあるし、まあできるかなと。まず、男声合唱ということもあるから、どんな曲になるかな、ということを考えてた。
もともと、音楽やってる人間は自我が強い奴しかいないのにそれを無理やりバランスとって仲良しで続けるなんて出来ないよ。
本番までは高いキーで歌わない。
広義ではこのフェスと結びつくところはあっても、あれは恋愛の歌だし、それをここに持ってくるのは行間があり過ぎるのかな、という想いもあったから、もう一回、自分でもあの曲を聞き直してみたりもしたんだけどね。でもさっき、歌う前の櫻井君のMCと、実際に彼が歌っているのを聴いて、「あ-、そういうことね」って納得したんだ。「僕はここで待っているから」という歌詞が、来年への想いにもなってるんだなってね。また別の意味合いの歌に聴こえたね。
行け!という気持ちで歌っているから聴いている人達に伝わっていると思う。
もう、ギリギリでヘトヘトだと、「還暦、走る」みたいなに言われるんだろうな。歌いながら走って、その後も別に平気で居れば、歳なんか見てる人は忘れると思うんだよ。「ところであの人、幾つだっけ?」っていう、そこまで頑張れるかどうかじゃないかな。
ムーン・リバー。「ティファニーで朝食を」という、オードリー・ヘップバーンの映画の曲でした。これ、もっていかれますね。何だろう?ハーモニカの音、あとコード感みたいのが、すごく自分が接したことのないようなサウンドだったんですね、きっと。中学のときですね。
周囲の人間に助けてもらうのはいいが、頼ってはダメ。頼ると回りの人間が離れて行く。自分の力でのたうち回っても頑張る。
本来ライヴ・パフォ-マンスに走るなんていうのは含まれてないわけで、どっかで俺が勘違いしちゃったままなのかもしれないけど、でも走るってるとこを見るという高揚感は、他の何にも換えがたいものでもあるんだよな。あと、跳ぶ、とか…。宮崎駿の映画にしても、気がついたときは跳んでるじゃない?走るとか跳ぶとか、それを見た時、ヒトは解放されるんだろうし、だから俺も走るんだろうしね。もう、訳もなく…。なので今日やったみたいなステ-ジから飛び降りるというのも、それを見てもらって解放してもらうためなんだよ。そのためには、人間の持ってる機能は全部使う、ということで。
できるだけ走ってます。距離は3キロとか。
「どの時代」とかじゃなくて歴史上の人物が「あなたは普通の人だったんですね」という確認みたいな・・・「あなたがキリストさんなんですね」という気持ちを味わってみたいので、キリストさんとかいいですね。
いい思い出を作る。人生はこれに尽きると思います。でも、いい思い出ばかりだと死ぬのが辛い。この辺りの兼ね合いが難しいのです。
実はapの初日にASKAが出て、アイツが先にやった飛び降りました」って、スタッフ経由で伝言があった。それ聞いたら、こっちはもっと派手にやらないといけないじゃない?ASKAは最前列のとこ下りたそうだから、俺はもっと遠くまで行くしかないな、ということで、通路を走ろうと思ったんだよ。でもダメだったね。みんなの手が出てきちゃって、あれ以上やると危険だしね。apなんだから、俺のファンてわけでもないんだし、「行かせろよ」って思ったんだけどさ。
優しさなんて持っていない。むしろ蹴飛ばすくらいの感じで、もっと頑張ろうぜ!って。
何もしないですけど、風邪を引かないようには注意してます。
apなんか特にそうだけど、小林君という、彼らの「顔が見える」から。このあと出演する「情熱大陸」にしても、葉加瀬太郎くんが僕のコンサ-トに来てくれて、楽屋で会って、その時、ちゃんと彼の顔が見えたしさ。「あ-、こういうことやりたいんだろうな」っていうのがね。くるりのやってる「京都音楽博覧会」にしても同じだし。まぁ、それが「出てもいい基準」とまでは言わないけど、「そうか、俺はコイツとやるんだな」という想いが在るか無いかは、大切なことだと思うね。
やってるヤツの顔が見えないものに出掛けていっても、誰と握手して帰ってくればいいのか分からないし、出演者たちも単なる「顔集め」だとしたら、「お-、どうもどうも」って、誰に挨拶して帰って来ればいいのかも分からない。それでは出掛けていっても楽しくないし、想い出にもならないだろうなっていうのはあったな。
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