杉良太郎の名言
俳優、歌手
杉良太郎の名言。全89個。
-
ああ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々もぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ。
-
自分の口が言ったからにはやらなきゃいけない。約束したことは、反故にできないんですよ。言ったらやるしかない。それが約束というものでしょう。
-
誰にだって欲がある。しかし、欲を抱けばきりがない。私は欲の蟻地獄へは嵌りたくないと思って生きてきました。私が大事にしてきたのは、人の思い。
-
昔から「売名」って言われてきた。最近は面倒くさいから、そういう人には「はい、売名です」って言うんです。僕が今までやってきたこと、あなたもぜひやってみてくださいと思う。
-
「真実」の拍手、「真実」の笑顔、「真実」の涙。嘘や建前の多い世の中にあって、「真実」を私に教えてくれたのは施設の人たちでした。
-
お金も時間もない人は、福祉に対する理解を示し、実際に活動をしている人に拍手を送るだけで十分。それでもう立派な福祉家なんです。福祉ってそういうもんです。
-
私が歌を披露すると、両手を合わせて私のことを拝み、涙を流して「ありがとう」を繰り返したのです。そのときは深い考えがあって養老院を訪れたわけではありません。「行ってみようか」ぐらいの軽い気持ちでした。
-
ボランティア、福祉は一方通行。私はそう思って、いままで活動を続けてきました。ただ、さまざまな活動を通じ、結果としてかけがえのないものを得たのです。それは「真実」に出会えたということ。
-
育てている私としては、やっぱりその木が育って、棄っぱが勢いよく青々となり、やがて小さくても大輪でも花を咲かせ、実がなってほしい。その木に花も実もある一生を送らせたい。人間の一生についても同じです。
-
人が年を重ねて成熟していくこと。これは、植物で言えば若葉の頃、つまり若いうちにどれだけ力いっぱい生きたかということにかかっている。
-
思いによって、救われることもあれば、傷つけられることもある。人の思いによって、人生は大きく変わるものです。だから、私は一生懸命、人のことを思いやりたい。
-
思いを遂げたい。一生懸命育てた分、花を咲かせ、実をつけてほしい。一生態命取り組む分、一緒に汗を流してほしい。一生懸命与えた分、本気を出して向かってきてほしい。
-
振り返ってみれば、人から頼まれて行動を起こすということはなかった。「ぜひベトナムに来てください」と言われたこともない。そもそもベトナムのことは知らない。ベトナムの方たちとの付き合いすらなかった。
-
違法ダウンロードの話を聞いたときも「このままでは多くの若者が犯罪者予備軍になってしまい、明るい未来が遠ざかってしまう」と妄想がふくらんでいく。
-
ボランティアをやったことがなく、理屈を並べ、批判ばかりをし、善意の行為を理解できないような人格の者が、政府高官という大事な立場にいて、国の仕事を任せられるのか、と感じた瞬間だった。
-
僕、若いころから有名でしたしね。一生懸命他人に尽くしている行為を、売名と切り捨てる人のことは、腹の底では、「寂しい人間だなあ」と思っている。
-
中傷ばかりがつきまとうと、やっぱりつらいし傷つくんです。だからボランティアをやっていることを隠していた時期が30年くらいあります。
-
地道にずっと続けてきましたが、東日本大震災の後、宮城に炊き出しに行ったら、突然えらく持ち上げられて、本音を言えば面食らいました。ほんとに名前も売りたくないし、いい格好もしたくないですから。
-
職員が仕事に誇りとやりがいを持てるよう、それぞれの犯罪傾向に対する専門官を育て、刑務所がただ刑期を終えるための場所ではなく、再犯をさせないように矯正する施設になるようにしていかなければならない。
-
口当たりのよい言葉で人におもねり、媚びることはひとときの快をもたらすかもしれませんが、それはけっして長続きしない。私はそう考えて、この五〇年間を生きてきました。
-
私自身の経験から言えば、つらく苦しいこと、あるいは人が嫌がることを率先してやること。それから、いまある自分の環境でがんばること。
-
別れ際、私は「ありがとう、ありがとう、かならずまた来ますから僕の歌を聞いてくださいね」とお年寄りたちの手を一人ひとり握りました。そうして、感謝と感動を胸に養老院をあとにしたのです。
-
福祉の現場では、自分の無力さを突きつけられる。もっと力があったら助けられるのに、って自分を責めたりね。でも今は、過去を忘れていけるようになりました。
-
「すきま風」は、オリコンのシングル盤100位にいつも出てましたね。どちらかといえば真ん中より後ろだったかもしれませんが。7、80位くらいのところだったかなー。
-
ええ、1年経ってようやく「すきま風」が主題歌として流れたんですよ。レコードはタイミングを合わせてもちろん発売されましたが。
-
なぜ男と女がいるのか。互いに持っているもの、持っていないものを補完し合えるから、いいバランスになるんです。日本の社会は、もっと女性が前面に出られるようにならなきゃいけませんよ。
-
たまたま出会うチャンスがあったものとの縁を大事にすることが大切です。人生で自分が出会えることは無限にあるわけではないんですから、何かの縁で出会ったことや人に対して、真心を持って接するのです。
-
苦しいことを一つ乗り越えれば、その後のどんなに苦しいことでも乗り越えていけるようになれる。何があっても生きていけるという自信がつく。
-
人間って嫌なことがあると逃げるでしょ。1回逃げると次の嫌なことからもまた逃げる。その結果ずっと逃げ続ける人生を送ることになる。そういう人間にはなって欲しくない。
-
振り返ってみれば、若い頃の私は本当に恵まれていました。なぜなら、芝居に本気で取り組む私をしっかりと受けとめてくれる人がいたから。
-
本気を出したときに受けとめてくれる人や環境があってこそ、大きく伸びることかできるのです。私にとって、長谷川一夫先生はその一人でした。
-
いまの人たちはあまりに職場を変えすぎる。でも、どこへ行っても仕事の本質は同じです。どこで働いたとしてもそこで日本一になればいいのです。
-
私は変化することが苦手でした。芝居でも福祉活動でも、こうと思えばとことんやらないと気が済まない。年齢とともに自分の生き方のスタイルを変えるということはできなかった。だから、心にしわ寄せが来てしまった。
-
自然体だけれども、生易しいものではない。芸能界に入って悩んだことはないけれど、ボランティアでは2回も3回も死にたくなったことがある。
-
3代目はたしか橋幸夫さんで、その前が市川段四郎さん、初代は中村梅之助さんだった。そして5代目が高橋英樹さん、6代目に松方弘樹さんだったかな。
-
できれば若いときから海外に行き、観光コースではないところを見て、日本のぬるま湯のような環境が当たり前ではないということを知るといいでしょう。視野が広がります。