安藤忠雄
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安心するというのがやはり一番の敵ではないでしょうか。敗戦を経て、日本は平和になりました。日本人は、石油危機や金融危機など時々、ショックを受けて慌てるが、その危機感をすぐに忘れてしまう。終身雇用も年功序列も崩壊しているのに、安定を求めて大企業に就職したがる若者が少なくないと聞きます。これでいいのでしょうか。日本人は「挑戦する」という言葉を忘れてしまったように思えてなりません。
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家に持って帰って考える、会議して考えるって言うてるから、今世界のスピードに遅れてるんですよ。
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最悪なのは、挑戦もせず最初からあきらめて逃げてしまうことです。失敗を恐れずで立ち向かえば、)少なくとも自分自身は納得できるでしょう…。
外国は観光地ではなく、仕事の戦場です。日本のビジネスマンもそろそろ口先でグローバルというだけでなく、世界をビジネスの場と見る意識をもっていいのではないでしょうか。経営者にしても、外国に行って戦った経験のある人が、活躍していますよね。
目標がなくなったら、人間も国も弱くなる。
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仮に私のキャリアの中に何かを見つけるにしても、それはすぐれた芸術的資質といったものではない。あるとすれば、それは厳しい現実に直面しても、決して諦めず、したたかに生き抜こうとする、生来のしぶとさなのだと思う。
仕事を受ける基準は情熱やな。
勇気とガッツが、退屈な日常の繰り返しを、無限の可能性に満ちた時間に変えていく。
私は現在、韓国で3つの建築を手掛けていますが、ダメなものはダメとはっきり言います。それで最初は扱いにくい日本人だと思われていたようですが、こちらが本気だということが相手に伝わってからは、逆にいい関係で仕事ができるようになりました。
建物は10年に1回はきっちりメンテナンスをしなければいけませんが、人間も建物同様、やはりメンテナンスが必要。
私は、きちんと話し合って、妥協ではなく納得して前に行く。納得しなかったらやりませんでしたし、納得したからこそ、トラブルにもなりませんでした。
建築が他の芸術と違うのは、いつも相手がいるものですから対話をしなくてはいけないのです。その対話の中で我々の考えと依頼主の考えていることがずれると思うんです。しかし、ずれるけれども話し合いで解決できるので妥協ではないと思うんですね。だから話し合いはするけれども、妥協はしたくない。
建築のプロセスには必ず光と影があるように、人生にも必ず光の側面と苦しい影の側面がある。人生に「光」を求めるなら、まず目の前の苦しい現実という「影」をしっかりと見据え、それを乗り越えるべく、勇気を持って進んでいくことだ。
お金は栄養にならんとよう分かったんで。
多数に追随すれば必ず自分を見失う。孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。
外国で仕事をするとき、たいていの日本人は自分を殺して、ひたすら丁寧に振る舞うことで友好関係を保とうとします。これじゃ、真の対話にはならないし、かえって相手に信用されません。
私は毎年十回以上海外旅行をしますが、そのたびに寸暇を惜しんで建築物を見に行きます。パリのルーブル美術館やサント・シャペルなど、もう何度訪れたかわかりません。日本にいるときは、同じように東大寺や法隆寺に何度も通っています。なぜそんなことをするかというと、それら先人の作品を間近に見ることで、「まだまだ自分は足元にも及ばない」という謙虚な気持ちになり、同時に「自分にはやることがたくさん残されている」「いつかこれを超えるものを創りたい」という気力がみなぎってくるからです。
エレベータ待つのが嫌い。10階までくらいなら階段や。
人生というのは所詮どちらに転んでも大した違いはない。ならば闘って、自分の目指すこと、信じることを貫き通せばいいのだ。
自分の能力を高めるために半分、それから事務所のために半分働きなさい。そのためにも、自分の考えをきちんと発言できるようになりなさい。
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