岡倉天心の名言
思想家
岡倉天心の名言。全48個。
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歴史の中に未来の秘密がある。我々は、我々の歴史の中に、我々の未来の秘密が横たわっているということを本能的に知る。変化こそ唯一の永遠である。
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教育とは、強固な幻想を維持するために一種の無知を奨励するものにほかならない。人は真に徳のある人間として教育されるのではなく、ただ、きまりに外れないよう振る舞うことを教えられるだけなのである。
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芸術は、その時代の暮らしにぴったりとしたものであって初めて本当に理解されるものなのだ。けっして後世の評価を無視してよいというわけではないが、それよりまず現在を十分に楽しまねばならない。
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絵に良い絵と悪い絵があるように茶にも良い茶と悪い茶があるのだ。しかし、完璧な茶をたてる唯一これだけというやりかたがあるわけではない。
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自分で偉大だとうぬぼれているものが実はちっぽけなものにすぎないことがわからない者は、ちっぽけと軽んじている他人のものが実は偉大なものであることを見過ごしがちである。
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茶道は本質的に不完全なものへの崇拝であり、人生というこの不可能なものの中で、何か可能なものを成し遂げようとする繊細な企てである。
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茶室、すなわち数寄屋は単なる小屋で、それ以上を望むものではない。・・・不完全の美学に捧げられ、故意に未完のままにしておいて、見る者の想像力によって完成させようとするがゆえに「数寄屋」である。
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孔子は言っている、「人は隠したりするものだろうか」と。私たちには隠さねばならないような偉大なものなどないので、些細な事柄にも自分をあらわにしがちになるのだろう。
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永遠とは、物質ではなく、精神にしか見出すことのできないものであって、こうした簡素な建物はその精神のあらわれなのであり、そうであればこそ、洗練をきわめたほのかな輝きを帯びて、かくも美しいのだ。
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私たちは大抵の場合、あまりにでしゃばり過ぎであり、いくらうぬぼれが強いといっても、これ以上自分を眺めて悦に入るというのは単調退屈でしかない。
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どの時代をとってみても、芸術が最終的に完成した型としてあらわれるというようなことはない。芸術とは絶えざる成長であり、年代ごとに区分できるようなものではないのだ。
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ある時代なり流派なりの凡庸な産物をいくらたくさん集めるよりも、ただひとつの傑作に接する方がより多くのことを教えてくれる。
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花は人間のように臆病ではない。花によっては死を誇りとするものもある。日本の桜がそうで、彼らはいさぎよく風に身を任せるのである。
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われわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。
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原始人は、思いを寄せる乙女に初めて花束を捧げた時、獣でなくなったのだ。自然界の粗野な本能性を脱して人間となったのである。無用なものの微妙な有用性を知った時、彼は芸術家となった。
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伝統や定式につき従っているだけでは、建築における個人性の表現に足かせをはめてしまうことになる。ギリシャ人が偉大であったのは、けっして昔に頼ろうとしなかったからだと言われているではないか。
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いくつもの音楽を同時にきくことができないように、美というものは、なんらかの中心となる要素に集中して初めて本当に理解することができるのだ。
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どんな木も、もともとその種に含まれた力以上に大きくなることはできない。生きるということは常に自分自身に立ち戻るということなのだ。