坂本龍馬
0
土佐で生まれた者が他藩に仕え、そしてまた土佐藩に仕えたとしても、天下のためを考えればおかしなことではありません。女性が二君に仕えることを否定されるのと同じように、志士まで二君に仕えることを非難されたら、自分の考え方を貫くことができません。そのため、浪人するにせよ、土佐藩を助けるにせよ、二君に仕えるか否かという論理を捨てなければ自分の考えを実行することはできません。
人間はなんのために生きちょるか知っちょるか?事をなすためじゃ。ただし、事をなすにあたっては人の真似をしちゃいかん。
1
人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。
この世に生まれたからには、己の命を使い切らんといかん。使い切って…生涯を終えるがじゃ。
4
地球を動かしているのは、思想ではなく経済だ。
とんとんと登る梯子の真中程で国を去って薩摩同志楼に上がる貧乏の春辛抱しゃんせと目に涙。
悲しむべきは池内蔵太のことです。9度も戦場に出て、常に配下の者たちを率いて戦い、一度も弾丸に当たらなかった幸運な者が、一度だけ私たちが購入したユニオンという西洋式の船に乗ったところ遭難してしまいました。五島列島の塩谷崎において船が大破してしまい、5月2日早朝、死にました。人間の一生は、実になお夢のようだと思います。
戦わずして敵の不意を誅するのが、上乗の戦さというものである。どうすれば戦わずして勝ちうるか奇計異術では出来ない。誠をもって押してゆく以外にない。
奇策とは百に一つも用うべきではない。九十九まで正攻法で押し、あとの一つで奇策を用いれば、みごとに効く。奇策とはそういう種類のものである。
戦場といっても、平和な時代に想像するよりも、意外に慌ただしく混乱するものではありません。たとえ敵が身近に接近しても、実戦の心得があれば冷静に銃に弾を込めることもできるものです。
人の諸々の愚の第一は他人に完全を求めるというところだ。
そのことは我が胸に成算がある。やろうと思えば、世に出来ぬことはない。
以上八策は、方今天下の形勢を察し、之を宇内き、一大英断を以て天下と更始一新せん。
2
俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。
業なかばで倒れてもよい。そのときは、目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ。
私ももしも死ななんだりや、四五年のうちにハかへるかも、梅雨の命ハはかられず。
土佐の芋掘りなどと言われ、次男という居候の身に生まれ、一人で天下を動かすことができたとしても、これもまた天の決めたことです。このようなことを言ったとしても、つけあがることもなく、ますます泥の中に住むシジミのように、常に土に鼻先をつけ、砂を頭にかぶっているような生き方を続けたいと思います。
雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ。
偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。
人よりも一尺高くから物事を見れば道は常に幾通りもある。
3
坂本龍馬のすべての名言