坂本龍馬
3
業なかばで倒れてもよい。そのときは、目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ。
1
土佐の芋掘りなどと言われ、次男という居候の身に生まれ、一人で天下を動かすことができたとしても、これもまた天の決めたことです。このようなことを言ったとしても、つけあがることもなく、ますます泥の中に住むシジミのように、常に土に鼻先をつけ、砂を頭にかぶっているような生き方を続けたいと思います。
雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ。
2
偏見を持つな。相手が幕臣であろうと乞食であろうと、教えを受けるべき人間なら俺は受けるわい。
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国を開く道というものは、戦いをする者は戦う、修行する者は修行する、商売をする者は商売するというように、銘々が自分のことをやり抜くほかにはない。
4
一つの概念をしゃべるとき、その内容か表現に独創性がなければ男子は沈黙しているべきだ。
人の諸々の愚の第一は他人に完全を求めるというところだ。
そのことは我が胸に成算がある。やろうと思えば、世に出来ぬことはない。
人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志に向かって事が進歩するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえ、その目的が成就できなくてもその目的への道中で死ぬべきだ。生死は自然現象だから、これを計算に入れてはいけない「。
俺は着実に物事を一つずつ築きあげてゆく。現実に合わぬことはやらぬ。
天下において、何事かを成そうとする者は、膿も良く腫れないうちには針で患部を突くことができないのと同じで、時期を判断することが大切です。
地球を動かしているのは、思想ではなく経済だ。
万事、見にゃわからん。
わしゃーもーだめだ、頭をやられとる、お前はだいじょうぶか?
戦わずして敵の不意を誅するのが、上乗の戦さというものである。どうすれば戦わずして勝ちうるか奇計異術では出来ない。誠をもって押してゆく以外にない。
人間の一生で合点のいかないことが多いのは当然であり、運が悪ければ風呂から出ようとして転び、金玉を潰して死ぬという不運に見舞われる者もいる。そんな者に比べれば、私などは運が強く、どれだけ死にそうな場面に遭遇しても死ぬことはなく、たとえ自分から死のうと思っても生きなければならない状況になってしまう。
相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。
当時二ても土佐国ハ幕の約にハ立不甲と相楽ミ居甲候。
人間はなんのために生きちょるか知っちょるか?事をなすためじゃ。ただし、事をなすにあたっては人の真似をしちゃいかん。
今は力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない。
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