武豊の名言
騎手
武豊の名言。全58個。
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勝利の方程式をつかんだ?道を究めた?そんなこと、思ったこともない。デビュー以来3500勝したけれど、出走回数は1万7000回以上。勝率にしたら2割に満たない。負けた数のほうがはるかに多い。
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どんなに経験を積み重ねて、似た場面を分類できたとしても、正解はその都度違うんですから。ただ、選択肢のなかに、正解が含まれている率は経験によって高まるんだと思います。
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自分の技術だけじゃどうにもならない。走るのは、だって、意志の通じぬ、馬のほう。だからこそ、楽しい。馬とともに走り、馬とともに勝つのは、人生をかけて追い求めるのにふさわしい巨大な謎だから。
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とにかく、やるべきこと、やれることを全部やっていくつもりです。その結果、見ている人をワクワクさせるような、レースができればいいなと思っているんです。
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スポーツ新聞などに予想を載せている一部の記者の方々に一言いわせてください。今日のゴールドアリュールに対して無印というのはちょっと失礼じゃないですか?
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大きな節目を振り返ってみても、何日も悩んで答えを出したということはなかったですね。最終的な結論を出す時期は人より遅いのかもしれませんが、迷わない性格なんだと思います。
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あとのことを考えて乗っている人は、ボクを含めてほとんどいないと思います。ジョッキーって、そういう人種なんじゃないかなあ。
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競馬場がギャンブルから少し離れ、家族や友人同士でスポーツを楽しむスタジアムや野球場のような場所になれば嬉しいですね。そのために、時にはまるで劇画のような、ドラマチックで興奮を誘うレースも見せないと。
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オバハンは頑固だね。あのペースでも掛かった。テンションはいつも高いけど今日はスローでも無かったのにね。根性見せて引っ張ったけど抑えが利かない。
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以前なら「人気になり過ぎ」としかめっ面をしていたところかもしれませんが、久々に「ユタカ人気」を経験できたのはうれしかったです。
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腹帯をどれにしようとか、来週の中山に鞍を何個送るかとか、そんなことも考えなきゃいけなかった。腹帯なんか、ゲンを担ぎ出したらキリがないんです。
武豊について
武豊は日本の騎手。日本中央競馬会(JRA)に所属し、数々の記録を塗り替えてきた人気騎手。リーディングジョッキー18回、騎手9回獲得はいずれも史上最多。1969年に京都府で生まれる。父・武邦彦は当時騎手でのちに調教師となる。中学校卒業後にJRA競馬学校に入学し騎手となる。1987年、武豊は栗東の武田作十郎厩舎所属騎手としてJRAデビューを果たすと、デビュー1年目で69勝をあげる活躍を見せ、JRA賞最多勝利新人騎手を受賞。翌1988年、スーパークリークで菊花賞を制しG1初勝利。1989年に初のリーディングジョッキーを獲得。1990年にはオグリキャップの引退レースとなったG1有馬記念で勝利、すでにピークを過ぎたと言われたスターホースを勝利に導いたことで武豊は大きな注目を集め、同時に競馬人気にも大きく貢献した。1994年にはスキーパラダイスでフランスのG1、ムーラン・ド・ロンシャン賞に勝利し、JRAの日本人騎手として史上初の海外G1制覇を達成。2005年にはディープインパクトで皐月賞、ダービー、菊花賞のクラシック三冠を達成した。