江崎利一
1
家業に専念してから一年余りたった年の春、かねて商売の勉強にはぜひ一度大阪へ行ってみたいという念願がようやく叶うときが来た。佐賀の田舎では旧正月の1か月間は農閑期で、温泉場で遊んで過ごすのが習慣であったが、私はこの機会に大阪の初見物を実行することにした。休養と視察とそして商売を兼ねた旅行だったが、予想以上の収穫を得ることができた。
飴作りに失敗すれば、京都で寺参りの客を相手に「極楽豆」を売ろうという考えを持っていた。南禅寺の茶売翁の例に倣ったのである。グリコーゲンの事業化は、私にとっては背水の陣だったが、失敗したときの手だても計算に入れていたのである。
0
厘毛の利も逃さない万端の用意「商売の戦い、商戦での成功法とは、何よりも損をしない備えである。厘毛のマイナスもカバーしつくして、厘毛の利も逃さないという万端の用意である。これならどんな長期戦でも対応することができる」。
2
よく考えてみると、健康な人間が病気予防の栄養剤など買うだろうか。買わないとすれば、どうすればいいか。そうだ、嗜好品として売るのだ。菓子の中にグリコーゲンを入れるのだ、という考えがついに固まったのである。そこへいくまで、私はいろいろな食品、たとえば佃煮、瓶詰、ふりかけゴマなどにグリコーゲンを入れて研究してみた。そして結局、飴菓子に混入することになったわけである。
私はこれほどの大商売になろうとは全く予想もしなかった。それだけに、あくまでも行き過ぎということを警戒した。生活も薬屋時代の質素な暮らしを続けた。そして、いつかは機会を得て大阪に進出したいという考えがあったので、その方に備えての備蓄を怠らなかった。
6
生産能力の2倍、3倍にも達する注文が来るようになり、どうしても拡張が必要になった。しかし、商売はよく拡張で失敗する。形の上で大きくなったことに気を許して、万事にぬかりがちになるからだ。同時に、失敗と気づいたとき、精一杯の資金を使ってしまって、手元に必要な予備資金を持たないことが多い。資金計画は努めて綿密にした。
なるほど、グリコ・キャラメルなら、既存のキャラメル類におんぶされて、楽に伸びられるかもしれないが、それでは新しい栄養菓子を売り出す意義がない。それに既存商品を追い越すことは絶対にできないだろう。キャラメルではない新しい菓子が、グリコなのである。売り出す苦労は、覚悟の上のこと。簡単、剴切で語呂がよく、広告の原則にもかない、効果の上でも有利と判断したからである。
販売の秘訣といっても別にこれということはないが、製品に特徴を持たすこと。そしてその特徴を徹底的に宣伝することである。いずれにせよ多年にわたって売り込んだ商品名、またそれに伴う良心的な経営は、何業によらず、大小のいかんを問わず、その事業を永遠のものにするものである。
私はのどを締められる思いだった。「慌てるな!命がけの問題は宿題を解くような平静な気分でやれ」と自分に言い聞かせ、淀川に釣りに出かけた。その翌日も同じように出かけ、淀川の大きな流れを見ているうちに、水の中に北浜の銀行街が浮かんできた。「そうだ、大銀行にイチかバチかの体当たりで頼むのだ。死んだ気で頼めばきっと聞いてくれるに違いない」。
専門家の不可能というものを、可能にしてみせようと張り切った。それに、小さい子供の口に入るからには、口当たりや舌触りの良いものでなければならないと考え抜いた末、ハート形の型抜きに成功した。世界でも初めてだと聞いている。
資本金6万円の栄養菓子会社はスタートした。当時森永1500万円、明治750万円の資本金だった。菓子の上では何ひとつ経験もなく、新しい事業に乗り出したのである。折あしく、業界は倒産が続出し、メーカー淘汰が頂点に達したときだった。悪いときに船出したものであるが、不況の後は好況と、私は歯を食いしばって頑張った。
私は佐賀にいるころ、自宅から一町ほど離れた八坂神社に出かけては、いつも考えに耽っていた。社殿の裏は、こんもりとした森である。森の緑に頭を休めながら、いろいろとマークやスローガンを考えた。
ある日、見るともなしに見ていると、子供たちが走りっこをしている。先頭になった子が、勢いよく両手をあげてゴールインする。その姿を見て私は考えた。「人間は誰でも、健康でありたいと望んでいる。健康のためには、体を鍛えなければならない。そうだ、スポーツこそ、健康への道だ。そして、子供の遊戯本能もまた、スポーツの中にはっきり現れているではないか。ゴールインの姿は、それらの象徴というべきではないか。グリコのマークとして、これほどぴったりのものはない」。
君たちが腰が抜けたというのなら、辞めてもいい。私はひとりになってもやり通す。城を枕に討ち死にする覚悟の者だけついてこい。
3
私は早速、ゴールイン姿のマークをこしらえた。それまでに、ゾウ、ペンギン、ハト、花などのマークができていた。その中に新しくゴールイン姿を加え「どれが一番好きか」を、近くの小学校でテストした。さらに一週間後「どれを一番覚えているか」を調べた。佐賀だけでなく大阪の小学校でも同じ調査を行った。結果は圧倒的にゴールインの支持が高かった。こうして、両手をあげてゴールに飛び込むランニング姿が、グリコのマークと決まった。
グリコという名称が独創的であるように、形もまた独創性を持たなければならないというのが私の考え方であった。
私は栄養菓子グリコを売りたかった。牡蠣からとれたグリコーゲン、息子の病気を救った牡蠣エキス、これを国民の健康に役立てようというのが私の念願だった。だから、私一人になってもやるという心に嘘偽りはなかった。
私はアタマとマナコの働かせ方次第で、商売というものの妙味がいかに無尽であるかをつくづくと感じさせられた。それからというものは、目、耳、頭、手足を油断なく働かせるようになり、周囲のものごとに対して一層注意力、観察力を傾けた。
いつものように工場の仕込みを済ませ、明日の宣伝販売の段取りを終えると私は戸外に出た。家の前のたかきや橋に立って沈思黙考するのがそのころの私の習慣だった。その夜は、人の苦悩も知らぬ綺麗な月が輝いていた。橋の上から川面に映る月影を見ていると、さすがの私もふと「いっそ、このまま川の中に飛び込んでしまったら……」という気持ちに誘われ、ハッと我に返った。「そうだ!死んだ気になってもう一度頑張ってみよう。まだまだ努力が足りないのではないか」。
働くということは人生におけるすべての基本である。働かずに食う法、働かずに金を儲ける法、働かずに出世する法があろうはずがない。だから、少しでも早くこの「働き」の習慣を身につけるのがその人の一生の大きな幸せといえる。
江崎利一のすべての名言