昔から立派な人物で、心身を労して世のために尽くした人は、少なくありません。今日、そうした人物の心中を推測しますと、衣食住の豊かさだけで満足した人とは思われません。人間交際の義務を重んじて志したのは、高遠な理想にあったのです。
福沢諭吉
福沢諭吉のその他の名言
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水があまりに清ければ、魚は棲めない。人は知的であり過ぎれば、友を得るのが難しい。友人を受け入れるには、度量が広く、多少ぼんやりとしているところもあったほうがいい。
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人の表情は家の門のようなもので、広く人と交わって自由に客が訪れるようにするためには、まず門を開き、入口を掃除して打ち水をし、とにかく、来訪者が気持ちよく入れるようにすることが大切です。
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慈悲の情に乏しく、廉恥の心を失い、道理の世界を逸して財貨をむさぼることを「吝」と名付け、一身一家の生計を綿密に立てて外見の見栄を張らないことを「倹」と言う。
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江戸時代、寺子屋の教科書として使われた「実語教」という本に「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあります。つまり、賢人と愚人との違いは、学ぶか学ばないかによって決まるのです。
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生活が苦しいといっても、よく家計について考えれば、早く一時のお金を得て、それを使って小さな安楽を買うよりも、苦労して倹約を守り、大成する時を待つほうが、得策だと思います。
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貧富強弱の状態は、天が決めた約束ではありません。人間が努力するかしないかによって移り変わるもので、今日の愚人も、明日は知者ともなりますし、昔は富んで強かった人も、今の世では貧しい弱者にもなりましょう。
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いま、国が富強であるのを幸いと、貧しく弱い国へ無理難題を持ち掛けるというのは、いわゆる力士が腕力で病人の腕をへし折るのと同じで、国の権義から言っても許してはならない暴挙です。