福沢諭吉
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学生の中には、日本語は不便で、文章でも演説でも表現しにくいので、英語で書いたり話したりするなどと、取るに足りない馬鹿なことを言う者があります。この学生は、日本に生まれてまだ十分に日本語を使ったことのない男なのでしょう。母国語というのは、その国の物事が次第に複雑になるのに従って増加していくもので、少しも不自由を感じるはずのないものです。何はさておき、現代の日本人は、現代の日本語に習熟して話すことに上達するよう努力すべきです。
法は「簡にして厳」であるべきである。
身分が高く偉い人は、当然経済的にも豊かであり、下層階級の人から見れば到底自分はなれない世界の人たちなのですが、そうした隔たりのできたのはどうしてなのでしょうか。その根源は、ただ、その人に学問の力があるかないかの違いだけであって、天が定めた約束事ではないのです。
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「足ることを知る」という教えは、一個人の私に適している場合はあるかもしれないが、国としては、千万年の間に一日たりとも満足の日があってはならない。多欲多情ますます足らないことに不満を持って、一心不乱に前進することこそ国の栄える基である。
世の中で一番尊いことは、人のために奉仕し、決して恩にきせないことです。
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親子だというても、親は親、子は子だ。その子の為に節を屈して子に奉公しなければならぬということはない。
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行為する者にとって、行為せざる者は最も過酷な批判者である。
自由と我がままとの境界は、他人に迷惑を掛けるのと掛けないのとの間にあります。
進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む。
世間の人たちと交際するに当たって、特に被害を受けることもなく自身の独立を妨げることもない限りは、言行の鋭い矛先を包み込んで外見を優しくし、知らない事は知らないとして、人に質問するのはもちろんのこと、その質問に対する答えに愚説があっても、すぐにそれを退けてしまわずに丁寧に耳を傾けるべきである。
人間社会には、人望の大小軽重はありますが、人に当てにされるような人でなければ何の役にも立ちません。
学問の道に入ったならば大いに学問すべきです。農業を志したなら豪農になりなさい。商人になるならば大商人になりなさい。学問をする者は、小さな安楽に満足してはなりません。
世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事をもつことである。
妊娠中に母を苦しめ、生れて後は三年父母の懐を免れず、その洪恩は如何と言えり。
心事高大にして働きに乏しき者は、常に不平をいだかざるを得ず。
人間の暮らしにかかわるすべてのことを、得か損かのソロバン勘定で決定してはなりません。大切なことは、経済の法則を用いるべき場所と、用いるべきでない場所とを、区別することです。
一身独立して一国独立す。
所詮、世の中の出来事は生き物と同じで、その動きを前もって予測することは不可能です。ですから、賢明な人であっても、案外愚かな失敗をする者が多いのです。
立派な人物にとって交際面で大切なのは、小事にこだわらず磊落であること。時には無責任な放言や悪口・叱声があったとしても、それらはすべて空砲であるべきで実弾を込めてはならない。言葉の中に、ほんの少しであっても実弾を込めて弱点をねらい撃てば、どんな小さな散弾でも相手に与える苦痛はきわめて大きい。
理想が高尚でなければ活動もまた高尚にはならない。
福沢諭吉のすべての名言