福沢諭吉
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独立の気力のない者は、必ず他人を当てにします。他人を当てにする者は、他人の言動にびくびくして恐れます。他人を恐れる者は、必ず他人にお世辞を使います。いつも他人を恐れ他人にお世辞を使っている者は、だんだんそれに慣れてツラの皮が厚くなり、恥ずべき事も恥じず、言うべき事も言わず、人に会えば、ひたすら腰を低くしてペコペコするようになってしまいます。よく言う「習い性となる」というのはこうしたことで、一度身に付いた習性は、そう簡単には直りません。
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碁・将棋の晴れの勝負に、ぜひとも勝とうとする人はかえって敗北して、無心の人が勝利することが多い。その理由は、勝負を軽く見るのと重く見るのとの違いで、無心の人は、もともと晴れの勝負を晴れと思わず、これくらいの争いに負けてもどうということはないと覚悟しているので、決断が速く駆け引きも活発になるのである。
宇宙の間に我が地球が存在するのは、大海に浮かべるケシの一粒というも中々おろかなり。我々の名づけて人間と称する動物は、このケシつぶの上で生まれまた死するものにして、生まれてその生まれるゆえんを知らず、死してその死するゆえんを知らず、よって来たるところを知らず、去ってゆくところを知らず、五・六尺の身体わずかに百年の寿命も得がたし。塵のごとく埃のごとくたまり水に浮沈するボウフラの如し。
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ひとこと忠告したい。後進の青年諸君。もし他人の仕事に不満だったら、自分でその仕事を試みてみたまえ。他人の商売のやり方がまずいと思ったら、自分でその商売をやってみたまえ。隣家の生活がずさんに思えたら、自分の家で試してみたまえ。
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学問の本趣意は読書のみにあらずして、精神の働きに在り。
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自分の悪かったことに気が付いて改めるというのは立派なことだ。
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カゲロウは朝に生まれて夕に死すというといえども、人間の寿命に比べてさしたる相違にあらず。蚤と蟻と背比べしても、大衆の目より見れば大小なく、一秒時の遅速を争うも百年の勘定の上には論ずるに足らず。されば宇宙無辺の考えをもってひとり自ら観ずれば、日月も小なり、地球も微なり。まして人間ごとき無知無力、見る影もなきうじ虫同様の小動物にして、石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、たちまち消えて痕なきのみ。
独立の気力のない者は、国を愛する気持ちも希薄である。外国から自国を守るには、自由独立の気風を全国に充満させ、国中の人たちが、身分上下の別なく、国の問題を自分の問題とし、知恵や身体の障害の有無にかかわらず、それぞれ国民としての務めを果たさなければなりません。
自ら動こうとしないものを、導くことはできない。
自由とわがままの違いは他人を妨げるかどうかである。
浮世を棄つるは、即ち、浮世を活発に渡るの根本なると知るべし。
人間の一生というのは、見る影もないウジ虫と同じで、朝の露の乾く間もない50年か70年の間を、何とはなしに遊びながら生きて、やがて死んでいくまでのことだから、自分の身をはじめすべての物事を軽く見て、やたらに真面目すぎないほうがよい。
学問の本質は、生活にどう活用するかということです。活用のない学問は、何も学問しなかったのと同じです。
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顔色や容貌をいきいきと明るく見せることは人間としての基本的なモラルである。なぜなら人の顔色は家の門口のようなものだからである。広く人と交際して自由に付き合うには門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。ところが、本心は人と交際を深めたいのに顔色に意を用いず、孔子の格言を信じてことさら渋い顔つきを示すのは入口にガイコツをぶら下げ門前に棺桶を置いているようなものである。これでは誰も近づかなくなる。
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愚民の上に苛酷な政府がある。良民の上には良い政府がある。
みだりに人を軽蔑する者は、必ずまた人の軽蔑を免るべからず。
今年がだめであったら、また来年に期待しましょう。
無知無学な民ほど哀れな、そしてまた不快なものはありません。知恵がないということは、結局は恥を知らないということに行き着きます。自分の無知から貧窮に陥り、飢えや寒さに苦しむようになると、自分自身を反省せずに、周囲の金持ちを恨み、極端な者は、徒党を組んで強訴一揆などの暴動を起こすこともありました。恥を知らないと言いましょうか、法を恐れないと言いましょうか。国の法律によって自分の身の安全を保ち、無事に一家の生計を立てていながら、利益だけは受けて、私欲のためとなればすぐに法を破るというのは、なんと筋道の通らない話ではありませんか。
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しかるにかの凡俗の俗世界に貴賎貧富、栄枯盛衰などとて孜々たるバッタがにわかに秋風の寒きに驚くがごとく、おかしくもまた浅ましき次第なれども、すでに世界に生まれでたる上は、うじ虫ながらも相応の覚悟なきを得ず。
人間がもともと持っている、苦労を避けて安楽を好むという心をそのまま成長させていけば、善に従う道につながるであろう。やたらに悪いことをしようとして苦労する人は、不徳というよりもむしろ無知と評すべきである。
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