福沢諭吉
3
カゲロウは朝に生まれて夕に死すというといえども、人間の寿命に比べてさしたる相違にあらず。蚤と蟻と背比べしても、大衆の目より見れば大小なく、一秒時の遅速を争うも百年の勘定の上には論ずるに足らず。されば宇宙無辺の考えをもってひとり自ら観ずれば、日月も小なり、地球も微なり。まして人間ごとき無知無力、見る影もなきうじ虫同様の小動物にして、石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸眠食し、喜怒哀楽の一夢中、たちまち消えて痕なきのみ。
0
浮世を棄つるは、即ち、浮世を活発に渡るの根本なると知るべし。
2
独立の気力のない者は、国を愛する気持ちも希薄である。外国から自国を守るには、自由独立の気風を全国に充満させ、国中の人たちが、身分上下の別なく、国の問題を自分の問題とし、知恵や身体の障害の有無にかかわらず、それぞれ国民としての務めを果たさなければなりません。
1
人間の一生というのは、見る影もないウジ虫と同じで、朝の露の乾く間もない50年か70年の間を、何とはなしに遊びながら生きて、やがて死んでいくまでのことだから、自分の身をはじめすべての物事を軽く見て、やたらに真面目すぎないほうがよい。
自由とわがままの違いは他人を妨げるかどうかである。
学問の本質は、生活にどう活用するかということです。活用のない学問は、何も学問しなかったのと同じです。
独立の気力のない者は、必ず他人を当てにします。他人を当てにする者は、他人の言動にびくびくして恐れます。他人を恐れる者は、必ず他人にお世辞を使います。いつも他人を恐れ他人にお世辞を使っている者は、だんだんそれに慣れてツラの皮が厚くなり、恥ずべき事も恥じず、言うべき事も言わず、人に会えば、ひたすら腰を低くしてペコペコするようになってしまいます。よく言う「習い性となる」というのはこうしたことで、一度身に付いた習性は、そう簡単には直りません。
碁・将棋の晴れの勝負に、ぜひとも勝とうとする人はかえって敗北して、無心の人が勝利することが多い。その理由は、勝負を軽く見るのと重く見るのとの違いで、無心の人は、もともと晴れの勝負を晴れと思わず、これくらいの争いに負けてもどうということはないと覚悟しているので、決断が速く駆け引きも活発になるのである。
世間の物事は、進歩しないものは必ず後退し、後退しないものは必ず進歩します。進歩も後退もせずに一か所にとどまっているものなどあるわけがありません。
宇宙の間に我が地球が存在するのは、大海に浮かべるケシの一粒というも中々おろかなり。我々の名づけて人間と称する動物は、このケシつぶの上で生まれまた死するものにして、生まれてその生まれるゆえんを知らず、死してその死するゆえんを知らず、よって来たるところを知らず、去ってゆくところを知らず、五・六尺の身体わずかに百年の寿命も得がたし。塵のごとく埃のごとくたまり水に浮沈するボウフラの如し。
ひとこと忠告したい。後進の青年諸君。もし他人の仕事に不満だったら、自分でその仕事を試みてみたまえ。他人の商売のやり方がまずいと思ったら、自分でその商売をやってみたまえ。隣家の生活がずさんに思えたら、自分の家で試してみたまえ。
みだりに人を軽蔑する者は、必ずまた人の軽蔑を免るべからず。
自由とわがままとのさかいは、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。
自分の悪かったことに気が付いて改めるというのは立派なことだ。
古典の「古事記」を暗記していてもこんにちの米の値段を知らないのでは、日常生活の知識すらない男というほかない。中国の古典の奥義をきわめても商売のやり方を知らず、取引ひとつできぬようでは、収支の知識の問屋にすぎない。それではめし食べる辞書であり国のためには無用の長物国家経済にとっては、有害な穀潰しと言っていい。
4
学問の本質は学問を自分がどう活用できるかにかかっている。現実社会に応用できないような学問は無学と言われても当然である。
5
自分の考えだけで、他人を評価してはならない。
6
国の文明は、形で評価してはなりません。学校といい、工業といい、陸軍といい、海軍といい、すべて文明の形だけです。この形を作るのは、さほど難しくありません。これらはただ金で買えますが、ここにもうひとつ、無形の物があります。その物というのは、目に見えず、耳に聞こえず、売買できず、貸借できず、すべての日本人の内にあってその作用は大変に強く、この物がなければ、学校以下の形ある文明も実際の役に立ちません。まことに、それは、文明の精神とも言うべき最も重要な物です。その物とは何でしょうか。私は、人民の独立の気力、これこそが、文明の精神であり、最も重要な物だと考えます。
人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。
時には二人の意見が異なることがあっても、自分の意見が是か非か、自ら心の中で裁判すれば、他人に判断してもらうような面倒を掛けなくとも、早速に落ち着くところに落ち着くであろう。
福沢諭吉のすべての名言