福沢諭吉の名言
蘭学者、思想家
福沢諭吉の名言。全151個。
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事を行うには、時機の善し悪しがあります。チャンスに恵まれなければ、どんなに有能な人でもその力を発揮することはできません。
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仕事というのは、偶然できるものではありません。善い事も悪い事も、すべて人間のこれをやろうという意思があってこそできるのです。
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人は、生まれながらに、貴賤貧富の別なし。ただ、良く学ぶ者は、貴人となり、富人となり、そして、無学なる者は、貧人となり、下人となる。
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社会共存の道は、人々自ら権利をまもり幸福を求むると同時に、他人の権利幸福を尊重し、いやしくもこれを侵すことなく、もって自他の独立自尊を傷つけざるにあり。
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人間は、負けるとわかっていても戦わねばならないときがある。だから、たとえ負けても勝っても、男子は男子なり。勝負をもって人物を評することなかれ。
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どんなに貧しく賤しい者でも、なぜ貧乏で賤しいか、その原因を知り、それが自分にあるということが分かれば、決して、やたらに他人を怨望したりはしません。
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人間の感情は、活動に自由がなければ、どうしても他人を怨望することになるのです。因果応報として明らかなのは、麦を蒔けば麦が生えるというようなものです。
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人望は、力量によって得られるものではありません。また、財産をたくさん持っているということで得られるものでもありません。その人の才能と知恵の活発な働きと正直な道徳心によって、徐々に得られるものなのです。
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男子たるものには、物をむさぼることよりずっと大切なものがあるはずだ。それは、大志を持ち、それに向かって突き進むことでである。猿が読むのだと思って書け。一家は習慣の学校なり。父母は習慣の教師なり。
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一家の生計を立てるのも学問です。商売をするのも学問です。時代の動きを察知するのもまた学問なのです。和漢洋の書物を読むことだけが学問であるという考え方は正しくありません。
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現代の学校の経営者やそこに学ぶ者は、低レベルの学校と比較せずに、世界の一流の学校を見て、自分たちの長所短所を見極めなければなりません。
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十人に会って、その中の一人とたまたま友人になれれば、二十人と会えば二人の友人を得ることができるという勘定になります。人を知り、人に知られる源は、その辺りにあるのです。
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今の時代において何を善とし何を悪とするかと尋ねられれば、人に対して、その人の好まないことを仕向けないのが善であり、それと反対の行為が悪であると答えよう。
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ただ戯れと知りつつ戯れれば心安くして戯れの極端に走ることなきのみか、時にあるいは俗界百戯の中に雑居してひとり戯れざるもまた可なり。人間の安心法はおよそこの辺にありて大なる過ちなかるべし。
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人の表情は家の門のようなもので、広く人と交わって自由に客が訪れるようにするためには、まず門を開き、入口を掃除して打ち水をし、とにかく、来訪者が気持ちよく入れるようにすることが大切です。
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江戸時代、寺子屋の教科書として使われた「実語教」という本に「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあります。つまり、賢人と愚人との違いは、学ぶか学ばないかによって決まるのです。
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周囲を見てごらんなさい。世界中、昔から今に至るまで、暗殺で事がうまくいき、世の中の幸福が増したという事例は、ひとつも見当たりません。
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人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。
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水があまりに清ければ、魚は棲めない。人は知的であり過ぎれば、友を得るのが難しい。友人を受け入れるには、度量が広く、多少ぼんやりとしているところもあったほうがいい。
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世間の物事は、進歩しないものは必ず後退し、後退しないものは必ず進歩します。進歩も後退もせずに一か所にとどまっているものなどあるわけがありません。
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しからばすなわち栄誉人望はこれを求むべきものか。いわく、然り、勉めてこれを求めざるべからず。また今日不弁なる人の言を聞くに、その言葉の数はなはだ少なくしていかにも不自由なるがごとし。
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西洋の人の言った言葉があります。「世の人すべてが自分の生活に満足して、そこに安住するならば、今日の世界は、天地創造のときの世界と異なることがないだろう」と。この言葉は、まことにその通りです。
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人生の途上ですでに独立して自力で生活している人に対しては、たとえ親子の間でも、やたらに干渉すべきではない。ましてや他人に対しては言うまでもない。
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貧富強弱の状態は、天が決めた約束ではありません。人間が努力するかしないかによって移り変わるもので、今日の愚人も、明日は知者ともなりますし、昔は富んで強かった人も、今の世では貧しい弱者にもなりましょう。
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学問の道に入ったならば大いに学問すべきです。農業を志したなら豪農になりなさい。商人になるならば大商人になりなさい。学問をする者は、小さな安楽に満足してはなりません。
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望みがなかったら、世の中に仕事に励む人がいなくなってしまいます。明日の幸せが見えれば、今日の不幸を慰めることができます。来年の楽しみが見えれば、今年の苦しみを忍ぶことができます。
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所詮、世の中の出来事は生き物と同じで、その動きを前もって予測することは不可能です。ですから、賢明な人であっても、案外愚かな失敗をする者が多いのです。
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利益の側からだけ見ても、人の信用こそ商売での利益の根源なのだから、人に雇われる者は、自分の利益になる重要なことなのだと思って正直に働き、主人もまた、その正直の代償として報酬を多くすべきである。
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人は生まれながらにして貴賤貧富の差があるのではありません。学問に励んだ賢人は、社会的に高い地位を得、経済的にも豊かになり、学ばなかった愚人は、貧しく、社会にも認めてもらえない人になるのです。
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生活が苦しいといっても、よく家計について考えれば、早く一時のお金を得て、それを使って小さな安楽を買うよりも、苦労して倹約を守り、大成する時を待つほうが、得策だと思います。
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人間の暮らしにかかわるすべてのことを、得か損かのソロバン勘定で決定してはなりません。大切なことは、経済の法則を用いるべき場所と、用いるべきでない場所とを、区別することです。
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時には二人の意見が異なることがあっても、自分の意見が是か非か、自ら心の中で裁判すれば、他人に判断してもらうような面倒を掛けなくとも、早速に落ち着くところに落ち着くであろう。
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慈悲の情に乏しく、廉恥の心を失い、道理の世界を逸して財貨をむさぼることを「吝」と名付け、一身一家の生計を綿密に立てて外見の見栄を張らないことを「倹」と言う。
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非常に重大な事から些細な事に至るまで、他人の働きにくちばしをいれたかったら、試みに自分の身をその働きの場所に置いて自分ができるかどうか振り返ってみなければなりません。
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いま、国が富強であるのを幸いと、貧しく弱い国へ無理難題を持ち掛けるというのは、いわゆる力士が腕力で病人の腕をへし折るのと同じで、国の権義から言っても許してはならない暴挙です。