ダライ・ラマ14世の名言
チベット仏教の指導者
ダライ・ラマ14世の名言。全79個。
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真の幸せは、心の平安と充足感から生まれるものであり、それは愛他主義、愛情と慈悲心を培い、そして怒り、自己本位、貪欲といったものを、次々と根絶してゆくことによって、獲得できるものです。
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私たちはこの世界において皆で協力して生きています。だから、どれだけ他人の役に立てるかを、人生の目標にもってこなくてはなりません。
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どんな大きな流れも、きっかけは一人の小さな行動から生まれます。もしあなたが「自分には大したことなど出来ない」と思ってしまったら、それは世界にとって大きな損失となるのです。
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目を離してみれば、最悪の出来事も無数の側面があり、様々な角度からとらえることができるとわかります。どこから見ても悪い状況というのは、滅多にあるものではありません。
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わたしたち人間には、愛や思いやりを称えられる能力があります。このささやかな能力こそ、人間のもっとも大切な天分だとわたしは思うのです。
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自分には出来ないなど考えていたら、どんなことだろうと達成することはないでしょう。自分には出来ないという考えこそが、自分を失敗へ導いてしまうのです。
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誰もが生まれつきの敵であったり、友であったわけではありません。「敵」も「友」も、自分が人々とどう接するかで生まれるのです。
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憎んだり怒ったり不幸せになったりしても、相手が持っている物や成功に影響を及ぼさないことを思い出してください。この点から考えても、腹を立てるのは無意味なことなのです。
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自分に親切でなくては、他人にそうあることはできません。他人に愛情と優しさを感じ、彼らが幸福で苦しまないことを望むには、同じことをまず自分自身に願わねばなりません。
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他人の何千もの欠点に目をつけるより、自分の唯一の欠点に気付くほうが、よほど役に立ちます。自分の欠点なら、わたしたちは自信をもって、修正できる立場にあるのですから。
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心の平安があれば、健康もついてくるでしょう。穏やかな心を持つ人は、よい友人たちを引きつけます。一般的にみて、幸福な状態にあるということは、お金も引きつけているということです。
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人間性の回復は、たとえそれがいかなる信仰であろうと、ありとあらゆる人間に内在する宗教的衝動のうちにある。この衝動を暴力によって抑圧することは平和の敵だ。
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これが私のわかりやすい宗教です。寺など必要でありません。難しい哲学も必要ではありません。私たち自身の頭と心が私たちの寺なのです。そしてその哲学とは優しさです。
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非常に複雑な現実のありようというものを正しく把握しようと思ったら、ひとつの角度からだけその問題をとらえてはいけません。全体的な視野、様々な角度から問題に光を当てる必要があります。
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私たちが経験するものごとで、永遠に続く者はまずありません。すべてのことは、変化して朽ちていく運命にあるのだと。どんな悲しみや苦しみも、例外ではないのです。
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自信を失わず、前を向きなさい。悲しみについて考えすぎてはいけません。悲しいことは、もう終わりです。前を向いて懸命に働きなさい。
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最高の人間関係とは、お互いを必要とする気持ちよりも、お互いを愛する気持ちのほうが、上回っているものであることを、忘れないようにしなさい。
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我と我が身のことばかり思い悩んでいると、苦しみは一層大きくなります。反対に、自分の苦しみを他人の苦しみと関連付けて考えられるようになれば、大抵のことは耐えられない苦しみだとは思われなくなるものです。
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お金や物では心の中に平和を築くことはできません。お金や物で肉体的なレベルの快適さを得ることはできます。しかし、精神的なレベルでの平和というものは得られません。
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起こってしまったことは、どうしようもありません。いつまでも、悲しみに暮れていてはいけないのです。辛いかもしれません。苦しいかもしれません。しかし、前を向いて歩いていくしかありません。
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大切なのは「心の平和」を築くということです。心と精神を落ち着かせれば、不安や心配も自然とおさまり、もっとずっと幸せな気持ちを楽しむことができます。
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もし誰かがスーパーに行って「心の平和を売ってください」といったとしたら、その人は笑われるだけでしょう。心の平和というのは、自分自身の努力によって、自分自身でつくり出さなければならなないものなのです。
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悲劇や悲運は、必ず私たちの前にやってきます。そのときこそ、叡智と自信を持って、困難に立ち向かわなければなりません。悲劇はより一層の情熱に、力に、決意に転換されなければならないのです。