吉田松陰
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自分の生死を度外視してでも、言うべきことをただ言うのみ。
賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。
倹約は義であり、公のためにするものだ。衣食財物を倹約して貯蓄し、仲間の困難を救うために使い、貧しい人に施すために使うものだ。ケチは利益を考えることであり私事である。人に与える衣食財物を惜しみ、欲深く人から奪い、使い果たすか、貯め込んだまま死ぬかのどちらかである。
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自分を正しくして、その後で人を教えるのであれば、どうして従わない人がいるであろうか。
何もせずに機会を失ってしまうのは、人の罪である。
士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しとなす。
今日の読書こそ、真の学問である。
士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく行動であって学識ではない。
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憂えたり、楽しんだり、気分の変化の原因は自分にあるのであって、物にあるのではない。
みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。
悔いるよりも今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。
私のことを知るということは、私の志を知り、それに帆を張り大きくすすめていくということだ。
心の中に思うことがある者は、外の事物に対して感じやすいものである。
才あれども勤めずんば、何をもって才を成さんや。
得ることが難しく、失いやすいのは時間である。
およそ学をなすの要は己がためにするにあり。己がためにするは君子の学なり。人のためにするは小人の学なり。
自分を正してから教えるならば、人はみんな従う。
末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない。
宿命は、人の力や智恵が及ぶものではない。だから、この原因を天に任せ、天命というのである。天命であるからには、それは全て天に任せ、人は一途に人として踏み行うべき道を守りさえすればいい。
一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。一日努力すれば、一日の効果が得られる。一年努力すれば、一年の効果がある。
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