吉田松陰
1
自分の生死を度外視してでも、言うべきことをただ言うのみ。
賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。
倹約は義であり、公のためにするものだ。衣食財物を倹約して貯蓄し、仲間の困難を救うために使い、貧しい人に施すために使うものだ。ケチは利益を考えることであり私事である。人に与える衣食財物を惜しみ、欲深く人から奪い、使い果たすか、貯め込んだまま死ぬかのどちらかである。
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自分を正しくして、その後で人を教えるのであれば、どうして従わない人がいるであろうか。
人の心というものは、苦しめば奮い立ち、思うようになれば、怠けてだらけてしまうものである。
何もせずに機会を失ってしまうのは、人の罪である。
士は過ちなきを貴しとせず、過ちを改むるを貴しとなす。
士たるものの貴ぶところは徳であって才ではなく行動であって学識ではない。
3
自分一身に降りかかる労苦を何とも思わないような人でなければ、どうして天下国家の人々を幸せにすることができようか。
みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず。
悔いるよりも今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩いは問題にならない。
私のことを知るということは、私の志を知り、それに帆を張り大きくすすめていくということだ。
心の中に思うことがある者は、外の事物に対して感じやすいものである。
才あれども勤めずんば、何をもって才を成さんや。
小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない。
得ることが難しく、失いやすいのは時間である。
人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。
2
自分を正してから教えるならば、人はみんな従う。
末の世において道義を実践したならば、必ずその時の人々から極端だといわれるであろう。もしまた、世人から極端だといわれるくらいでなければ、決して道義ではないのであって、すなわち世俗に同調し濁った世に迎合したものにすぎない。
人にはそれぞれ生まれつきの性質がある。だから、昔の心ある人に学び、自分に近いよい性質を自分のものとするべきである。
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