ジャン=ポール・サルトルの名言
フランスの哲学者
ジャン=ポール・サルトルの名言。全47個。
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もっといい時代はあるかもしれないが、これは我々の時代なのだ。我々はこの革命のただなかに、この生を生きるよりほかはないのである。
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過ぎ去る時間とは失われた時間であり、怠惰と無気力の時間であり、いくたびも誓いを立てても守らない時間であり、しばしば引越しをし、絶えず金の工面に奔走する時間である。
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人間は、時には自由であったり時には奴隷であったりすることはできないであろう。人間は常に全面的に自由であるか、あるいは常に全面的に自由でないか、そのいずれかである。
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すべての物は必要のないものである。この庭も、この都会も、そして私自身も。突然それに気づいたときムカムカし、すべてが漂いはじめる…それが嘔吐である。
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実存が本質に先立つとは、この場合、何を意味するのか。それは、人間はまずさきに実存し、世界内で出会われ、世界・内・存在に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだということを意味する。
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実存するとは脱自的、超越的なありかたで、自己がいまだあらぬところであるように、また自己が現にあるところのものであらぬように、自己を成らせていくことである。
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授業中、一生懸命聞いているように見える学生は、必ずしも内容を理解していない。なぜならば、彼らのエネルギーは「聞いている」というポーズをつくることに集中されてしまうからである。
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不幸にして私は、自分の顔を見たことがない。私はそれを気安げに、私の前にぶら下げているのである。私が私の顔を知るのは、むしろ反対に他人の顔によってである。
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人間の死ぬのはいつも早すぎるか遅すぎるかよ。でも一生はちゃんとけりがついてそこにあるのよ。一本、線が引かれたからには総決算しなけりゃ。あんたは、あんたの一生以外の何ものでもないのよ。
ジャン=ポール・サルトルと名言が類似する人物
ジャン=ポール・サルトルについて
サルトルはフランスの哲学者・文学者。「行動する知識人」として知られる。フランスの高等師範学校エコール・ノルマル・シュペリュール を卒業し、教師をしながらドイツの哲学者であるフッサールやハイデガーを学ぶ。その結果、サルトルの思想は人間の根源的自由を強調する実存主義へと行き着き、その哲学の実践を試みた。また、共産党を支持し政治活動に積極的に参加した。1964年にノーベル文学賞に選出されたがこれを辞退している。