司馬遼太郎
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長篠合戦の頃、すでに大量生産されるようになっていた鉄砲が、戦国時代の終わりとともに武器として姿を消してしまったことである。人々が飛び道具という最強の殺人手段と無縁であるというこの伝統は、文明開化や何度か之戦争を今日まで続いている。日本は四百年近く銃社会とは縁を切ったままである。
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雨が降ってきたからって走ることはない。走ったって、先も雨だ。
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ともかく若い間は、行動することだ。めったやたらと行動しているうちに、機会というものはつかめる。
教育なんて人からされるものじゃないんだ。
妻が陽気でなければ、夫は十分な働きはできませぬ。夫に小言をいうときでも、陰気な口からいえば、夫はもう心が萎え、男としての気おいこみをうしないます。同じ小言でも陽気な心でいえば、夫の心がかえって鼓舞されるのです。陽気になる秘訣は、あすはきっと良くなる、と思いこんで暮らすことです。
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資料を読んで読み尽くして、その資料を読み尽くした後に出たこう透明なしずくをね。一滴二滴しずくが出てくるんですよね。それを書くんだ。
人間のいのちなんざ、使うときに使わねば意味がない。
どうすれば戦わずして勝ちうるか、奇計異術では出来ない。誠をもって押してゆく以外にない。
古今、物事を革新する者は多くはその道の素人である。
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先人の真似ごとはくだらぬ。
相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。
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何事か成し遂げるのは、才能ではなく性格である。
どうなる、というのは漢の思案ではない。婦女子の言うことだ。漢とは、どうする、ということ以外に思案はないぞ。
日本の昭和の半世紀というものは、変化のすさまじさという点で、人類史上、どの人類も経験しなかったものではないか。
食が英雄を成立させた。不幸にも食わせる能力をうしなうとき、英雄もただの人になった。
人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは泰平の世の飾りものである。天下が乱れてくれば、ぺこぺこ剥げるものだ。
日本列島を暗箱に入れたような体制かで、長崎は針で突いたような穴になった。知的感光能力さえあれば写真は写るのである。
地名には言霊が宿っているだけでなく、私どもの先祖の暮らしや歴史が刻印づけられていると思っている。
例えば、友達が転ぶ。「あぁ痛かったろうな」と感じる気持ちを、そのつど自分の中で作りあげていきさえすればよい。
われわれは人間の集団を生物の次元で考えねばならない時代にきている。
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