司馬遼太郎
2
教育なんて人からされるものじゃないんだ。
1
ともかく若い間は、行動することだ。めったやたらと行動しているうちに、機会というものはつかめる。
基準を学問という。基準のない人間は、人から信用されない。美でもない。美でもなければ人から敬愛されない。
3
長篠合戦の頃、すでに大量生産されるようになっていた鉄砲が、戦国時代の終わりとともに武器として姿を消してしまったことである。人々が飛び道具という最強の殺人手段と無縁であるというこの伝統は、文明開化や何度か之戦争を今日まで続いている。日本は四百年近く銃社会とは縁を切ったままである。
先人の真似ごとはくだらぬ。
古今、物事を革新する者は多くはその道の素人である。
0
人間のいのちなんざ、使うときに使わねば意味がない。
男が自分の技量に自信をもったときの美しさというものは格別なものだが、自らの位階に自信をもった場合は、鼻持ちならなくなる。
資料を読んで読み尽くして、その資料を読み尽くした後に出たこう透明なしずくをね。一滴二滴しずくが出てくるんですよね。それを書くんだ。
妻が陽気でなければ、夫は十分な働きはできませぬ。夫に小言をいうときでも、陰気な口からいえば、夫はもう心が萎え、男としての気おいこみをうしないます。同じ小言でも陽気な心でいえば、夫の心がかえって鼓舞されるのです。陽気になる秘訣は、あすはきっと良くなる、と思いこんで暮らすことです。
7
人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは泰平の世の飾りものである。天下が乱れてくれば、ぺこぺこ剥げるものだ。
日本列島を暗箱に入れたような体制かで、長崎は針で突いたような穴になった。知的感光能力さえあれば写真は写るのである。
食が英雄を成立させた。不幸にも食わせる能力をうしなうとき、英雄もただの人になった。
君が天才であろうとなかろうと、この場合たいしたことではない。たとえ君が天才であっても、君は最高司令官に使われる騎兵であるにすぎない。要は君の使い手が天才であるかどうかということだ。
日本の昭和の半世紀というものは、変化のすさまじさという点で、人類史上、どの人類も経験しなかったものではないか。
どうなる、というのは漢の思案ではない。婦女子の言うことだ。漢とは、どうする、ということ以外に思案はないぞ。
何事か成し遂げるのは、才能ではなく性格である。
通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと持つのは負けた恨みだけである。
今は力を培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない。
親分――英雄――は流民に食を保障することによって成立し、食を保障できない者は流民に殺されるか、身一つで逃亡せざるをえない。
司馬遼太郎のすべての名言