星野仙一
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やはり、この縦縞でこの甲子園で皆の前で胴上げされたかった。
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野球中継は当時巨人戦が多く、当時の巨人主権試合の試合開始時間が18時20分で、地元の岡山での放送は20時頃に中継が始まるので、その間に監督から投手交代を告げられないように投げていた。家族や友達に自分が投げていることを見せたかった。
今の生活に安住しては進歩はない。ときには大胆な革命もね。
そんなに簡単なものじゃないし、勝負は甘いもんじゃないんだよ。
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弱いチームを引き受けるのは男のロマン。
夢を夢とするなかれ。
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サッカーはTシャツと短パンでできる競技。野球の方が厳しい。
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当時の巨人は、王さん、長嶋さんはじめ、すごいバッターばかり。俺がジャイアンツ・キラーだと言われたのは、打てるなら打ってみろと目いっぱい腕を振って投げたからだ。
田中のときだけ防御率が良くてもしょうがないんだよ。誰だってアイツのときは良くなるに決まっているんだから。問題はそれ以外のピッチャーのときに、いかに失点を抑えられるか。
失敗してもチャンスはやる。
ここで使わなかったら、あいつが死んでしまう。
正直...良い勝負はすると思っていたよ。実際にそうなったわけだけど。あとは俺自身が巨人ということで、ものすごくモチベーションが高かった。もしあれが巨人以外のチームだったら、あそこまで燃えるものはなかったのかなと。
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私は技術的なミスに対してはまず怒らない。基本的なものの考え方やメンタルなミスを怒るのです。技術的なミスは、\"やり直せ\"\"反復しろ\"でいい。つまり、汗をかくことで矯正できるのである。
のほうが人気がある。
何がフリーキックじゃ!あんなんワシでもできる。
今の選手は叱られ慣れてないから叱れない。叱ることも愛情なんだがな。時代だよ、時代。
とにかく選手がひたむきだったよな。1つ勝つのに貪欲だったし、その積み重ねが最終的に実を結んだんだと思う。
これから割れる茶わんを置いておけ。
不思議だよ。俺にしてみたら不思議な不思議な2013年だったよ。だって開幕前なんかはソフトバンク、西武、オリックスが強いぞって言われていて、ウチなんかはそれこそ4番手、5番手ぐらいの評価だったろう。そんなチームが日本一までいったんだから。やっぱり野球はやってみないと何が起こるか分からないし、面白いよな。
3回メッセージを言うチャンスがあったから言い尽くしましたけど。楽天に監督で就任して大震災が起きていやしてあげたいと信じて戦ってきました。まだ、ご苦労さなっていますが雀の涙でもいやしてあげたいと思っていました。ありがとう。
星野仙一のすべての名言