中村修二の名言
青色発光ダイオード発明者、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授
中村修二の名言。全95個。
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徹底して考え抜いた末に生まれる「独創性」と、最後までやりぬく「粘り」を持つこと。この両輪なくして、大きな夢を実現させることはできない。
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つくづく日本の理系学生は日本語を捨てるくらいの覚悟で英語をやらなければ、日本のサイエンスは今後どんどん国際レベルから立ち遅れていくでしょうね。
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研究はいうなればギャンブル、宝くじと一緒ですよ。大抵は当たらないですよ!ギャンブルですから。でも、当たる確率が非常に低いようなことにチャレンジすれば、当たれば大きいんです。
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今、学生は海外留学をしたくないんでしょうが、世界競争に勝てるような自分になってほしいと思います。若い人にはチャレンジしてほしいですね。自分の人生は一度ですからね。
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化学反応で作るんです。かっこいいでしょ化学反応で白い粉ができて、それを沈殿させて、乾燥して焼けばできるんです。それが蛍光体です。
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日本では学生は大学で勉強しない、英語もやらない。それで企業に入れば日本だけで商売。これじゃ鎖国だ。米国の講義は面白いし、理系は英語だから。
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自分を信じて突き進む勇気さえあれば、成功は現実のものとなる。大きな成功はつい目と鼻の先に転がっているのだ。それを掴むも掴まないも、ひとえに貴方自身の目的への執念と発想の転換にかかっている。
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日本は食事がおいしく、人は親切で、まだまだ安全な国です。ですから、旅行先として、あるいはリタイア後に住む場所としては最高なのですが、仕事をする気は全くないです。
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シリコンバレーのあるカリフォルニアに住んでいるせいか、周囲には常に新しいアイデアを出そうとする人ばかりです。技術の停滞など全く感じません。
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地球温暖化が進んで、100年後に地球はあっても、人類は存在していないんじゃないかな。技術進化を予測するより、二酸化炭素削減と代替エネルギーの問題を解決するのが先だと思います。
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私が青色発光ダイオードを成功させることができたのは、この人間の証である「手でモノをつくる」という意識を忘れなかったからだ。
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むしろ、効率が悪く、時間がかかった方が、成功しやすいともいえる。失敗してその原因を一つ一つ追求していけば、時間がかかるのは当たり前だ。
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自分がやりたいこと、自分が目ざすものがあれば、たとえそれが将来的にあまり光が当たりそうではなくとも、思い切って進むべきだ。
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何が確実なことかといえば、自分がこの目で見、この手で触れて確かめること以外に何があるというのだ。それを一つ一つ積み重ねていけば、エベレスト登山もいつかは可能になる。
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米国には定年はないですからね。だから、「行けるまで」やります。研究は、今はもう学生や会社の若い人に任せています。私の役割は方向性を決めることです。
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まずは自分でベンチャーを起こせないか考える。日本で私が教わってきたのは、クイズ番組の問題のようなものに解答する試験勉強ばかり。それでいきなりベンチャーをやれと言ったって、できるわけないですよね。
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物理とかあまり知らないど田舎の会社で、当時は私もそんなに専門知識を知らなかった。全部独自でやっていて、とても常識的ではなかった。
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「ロボット大量養成教育」と私は言っているのですが、日本では5教科なら5教科、全員が同じことをさせられる。サイエンスに限らず、これでは美術や音楽が好きな子は育たない。
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ほら、男の楽しみは「飲む、打つ、買う」というでしょう。私は酒は飲まないけれど、仕事がギャンブルだと思っています。だから面白い。
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受験競争をリタイアすれば、やりたいことに取り組む時間が十分にとれるからです。極論になりますが、好きな道で成功したかったら、今の日本の学校からは早く落ちこぼれた方がいいくらいです。
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我が子はどんな一芸を極めるべきなのか。それは、子どもが好きなこと、得意なことです。そしてそれを見つけ出すのは、親の観察眼というわけです。
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よく「オールジャパン」という言葉が好まれますが、日本人だけで作ったものは日本市場だけを念頭に置きがちです。最初から世界を見据え、発明に取り組むべきです。
中村修二について
中村修二は青色発光ダイオードの発明者。日亜化学工業在職中に既存の赤色、緑色に続く青色の発光ダイオード(LED)の開発に成功。光の3原色が揃ったことで、様々な色の照明をLEDで作ることが可能になった。しかしながら、この開発によって中村修二が日亜化学工業から得た報酬は報奨金の2万円に過ぎず、あまりにも対価が低すぎるとして日亜化学工業を相手取って訴訟を起こした。この訴訟は日亜化学工業が中村に約8億4000万円を支払うことで和解が成立している。中村は日亜化学工業を退社してアメリカに渡り、カリフォルニア大学で教授に就任。アメリカ国籍を取得して日系アメリカ人となった。そののち青色発光ダイオードの発明によりノーベル物理学賞を受賞した。