ジョゼ・モウリーニョ
4
高慢な奴だと思わないでもらいたいのだが、私は欧州王者だ。だから有象無象の輩ではないし、自分を特別な存在だと思っている。
7
私は革命家ではなく、何かを革命したいとも思わない。私はとても明確な考えを持っている一人の人間にすぎない。
1
相手チームの感情など知ったことではない。私はチェルシーを勝たせるためにやってきた。
自分が世界一だとは思わない。だが、私よりも優れた監督が見当たらないのも事実だ。
28
私は常に勉強している。あなた方はいつも時代遅れだ。
3
私の人生哲学はサッカー哲学に似ている。それは正直、率直、明確、そして野心的であるべきということ。私はこれらの特徴を絶対に失いたくない。
守るべき規律はすべての根本だ。選手はそれを理解しなければならない。一度過ちを犯した選手は、それを挽回してチームに戻るのに長い道のりを必要とするだろう。言っておきたいのは、戻る可能性は常にあるということだ。
5
ひとりの選手のポジションを動かしてシステムが変わっても、プレー原則は一定だ。私が言いたいのは、記者席から見た時の布陣は変わるかもしれないが、私のプレー原則は常に変わらないということだ。
反論するのを恐れるな。選手の前で俺とやり合え。それがキャプテンの仕事だ。
重要なのはどんなサッカーがしたいかだ。チームがある試合で、あるいはあるシーズンに、どんなサッカーを目指すのかというのは、システムではなくプレー原則の問題だ。ゾーンで守るかマンツーマンで守るか、高いブロックで守るか、低いブロックで守るか、ポジションチェンジを許容するかしないか、縦に奥行きのある陣形で戦うか横幅のある陣形で戦うか、ロングパスとショートパスどちらで攻撃を組み立てるか。これらがプレー原則だ。それが固まっていれば、4-4-2だろうと4-3-3だろうと、ロンボだろうと3バックだろうと、本質は変わらない。
私がレアル・マドリーを率いるために、この世に生を受けたかは分からない。ただ、フットボールの監督をするために生まれたのは確実だ。私は挑戦が好きなんだ。
私は自分自身に対する要求水準が非常に高いし、すべてがうまくいっているという確信を持つため、自分がハッピーであるためには常に勝利という結果を必要とする。これまで多くのタイトルを勝ち取ってきたのはそれゆえだとも思っている。
6
私のインテルは最強のチームではなかった。だからこそ、2倍の仕事をしなければならなかったんだ。
私こそフットボールのなんたるかを、この国の指導者達に教える存在だ。
一番大切なのはモチベーションだ。
私が試合を評価する唯一の基準は、プレー原則を遂行できたかどうかという、それだけだ。
11
良いパフォーマンスをしていないなら、それは基本的にその人間の責任だ。監督はあくまでサポートに過ぎない。
どの国にも独自の文化があり、自ずとサッカーも異なる。「これが私のサッカーだ」と押し付けてはいけない。
12
選手だろうが監督だろうが、個人がスターになるべきじゃない。スターになるのはチームなんだ。
2
私は1000万人の監督がいる国で生まれ、現在は4000万人の監督がいる国で指揮を執っている。
ジョゼ・モウリーニョのすべての名言