ジョゼ・モウリーニョ
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私の人生哲学はサッカー哲学に似ている。それは正直、率直、明確、そして野心的であるべきということ。私はこれらの特徴を絶対に失いたくない。
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自分が世界一だとは思わない。だが、私よりも優れた監督が見当たらないのも事実だ。
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ひとりの選手のポジションを動かしてシステムが変わっても、プレー原則は一定だ。私が言いたいのは、記者席から見た時の布陣は変わるかもしれないが、私のプレー原則は常に変わらないということだ。
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私は革命家ではなく、何かを革命したいとも思わない。私はとても明確な考えを持っている一人の人間にすぎない。
高慢な奴だと思わないでもらいたいのだが、私は欧州王者だ。だから有象無象の輩ではないし、自分を特別な存在だと思っている。
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特別な人間にはなりたくない。私はジョゼ・モウリーニョになりたいだけであって、いつも同じように情熱を持って、モチベーション高くやりたいだけだ。
重要なのはどんなサッカーがしたいかだ。チームがある試合で、あるいはあるシーズンに、どんなサッカーを目指すのかというのは、システムではなくプレー原則の問題だ。ゾーンで守るかマンツーマンで守るか、高いブロックで守るか、低いブロックで守るか、ポジションチェンジを許容するかしないか、縦に奥行きのある陣形で戦うか横幅のある陣形で戦うか、ロングパスとショートパスどちらで攻撃を組み立てるか。これらがプレー原則だ。それが固まっていれば、4-4-2だろうと4-3-3だろうと、ロンボだろうと3バックだろうと、本質は変わらない。
私は自分自身に対する要求水準が非常に高いし、すべてがうまくいっているという確信を持つため、自分がハッピーであるためには常に勝利という結果を必要とする。これまで多くのタイトルを勝ち取ってきたのはそれゆえだとも思っている。
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相手チームの感情など知ったことではない。私はチェルシーを勝たせるためにやってきた。
遠くから眺めるのと、その中で生活しメンタリティに触れ、チームが勝つために何を必要としているのかを理解するのは、全く別のことだ。
私のインテルは最強のチームではなかった。だからこそ、2倍の仕事をしなければならなかったんだ。
サッカーというのは、ひとつの家を築くようなものだ。少しずつ段階を踏んで積み上げていかなければならない。
私は常に勉強している。あなた方はいつも時代遅れだ。
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私こそフットボールのなんたるかを、この国の指導者達に教える存在だ。
サッカーのフィロソフィを変えたい。
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一番大切なのはモチベーションだ。
頂点への近道など存在しない。
私はチェルシーの歴史の一部であり、チェルシーは私の歴史の一部だ。私があそこに就任したとき、周囲は私のことを「誰だ?」なんて言っていた。だが、結果を残すと、考えを変えたんだ。いつかあそこへ戻りたいということは、もう何度も言っている。ただ、その「いつか」は特別にいつというわけじゃない。
良いパフォーマンスをしていないなら、それは基本的にその人間の責任だ。監督はあくまでサポートに過ぎない。
まずクラブに大事なのは、メンバーをできるだけ自国の選手で賄う事。その国の選手で賄えない時に他の選択肢を考えるべきだ。
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