ジョゼ・モウリーニョ
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私はメディアが望むような人間にもならないし、期待されている発言もしない。私は他人のシナリオの一部にはならない。私のシナリオは別だ。
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私はいいプレーができなかった選手を決して批判しない。外部からの攻撃からも徹底して守る。だが、チームのためにプレーしなかった選手は話が別だ。それは、私の仕事の本質がチームワークにあるからだ。誰かがチームのためにプレーしなかった時に、その選手を私が守る理由がどこにあるというのか。
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私が毎日1時間半前には着いているのに、選手が遅刻するのを受け入れるわけにはいかない。これはシンプルな論理だ。重要なのは、練習を10時から始めると伝えたら、練習は10時から始まらなければならないということだ。
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電気より、蒸気より、原子力より強い動力がある。「意志」の力だ。
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彼らのことを「控え」という言葉では形容できない。私は彼らを「第一のオプション」と呼ぶ。彼らはレギュラーの選手と同じクオリティーを持っている。2~3選手を代えたとしても、チーム自体は何も変わらないんだ。
チームのためではなく、自分のためにプレーする選手は私と一緒に仕事をすることはできない。
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チームを向上させ勝利させることが私の仕事だ。しかし、その仕事を勝ち負けという結果だけで判断されるなどという馬鹿げたことは決して受け入れない。だけど、気をつけていただきたいのは、私のチームは何かのタイトルは必ず勝ち取るということだ。
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バルサを指揮したくないのは愚か者だけだろう。そして私は愚かではない。だが、私に対する憎しみが愛情に変わるかもしれないと考えるのも愚か者だけだろうね。だから、それは不可能だ。私はバルセロナを指揮できないまま、キャリアを終えるだろう。
まずクラブに大事なのは、メンバーをできるだけ自国の選手で賄う事。その国の選手で賄えない時に他の選択肢を考えるべきだ。
私はチェルシーの歴史の一部であり、チェルシーは私の歴史の一部だ。私があそこに就任したとき、周囲は私のことを「誰だ?」なんて言っていた。だが、結果を残すと、考えを変えたんだ。いつかあそこへ戻りたいということは、もう何度も言っている。ただ、その「いつか」は特別にいつというわけじゃない。
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私の戦術の根底を流れる、明白な概念がある。現代のフットボールにおいて、ゴールを決めることの次に重要なのは「ボール・ポゼッション」だ。
頂点への近道など存在しない。
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私はチャンスを与えたが、君がそれを活かせなかった以上、他の誰かがプレーすることになるのは当然だ。
サッカーのフィロソフィを変えたい。
私は1000万人の監督がいる国で生まれ、現在は4000万人の監督がいる国で指揮を執っている。
サッカーというのは、ひとつの家を築くようなものだ。少しずつ段階を踏んで積み上げていかなければならない。
どの国にも独自の文化があり、自ずとサッカーも異なる。「これが私のサッカーだ」と押し付けてはいけない。
遠くから眺めるのと、その中で生活しメンタリティに触れ、チームが勝つために何を必要としているのかを理解するのは、全く別のことだ。
私が試合を評価する唯一の基準は、プレー原則を遂行できたかどうかという、それだけだ。
高慢な奴だと思わないでもらいたいのだが、私は欧州王者だ。だから有象無象の輩ではないし、自分を特別な存在だと思っている。
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