テリー伊藤
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自分が手に入れたものを捨てるというのは、確かに怖いことだ。しかし、捨てたときに何かを手につかまないでいるのは、もっと怖い。だから、必死で何かをつかもうとする。それでこそ、次の何かが手に入るのであって、この間の恐怖感が実は面白い。この面白さに一度気がつけばしめたもの。そうなると、捨てることへの恐れを振り払って、次のステップに踏み出していける。
お互いに補い合えることは大事。そういう結婚生活を持続させるためには、「夫婦だからいいだろう」って油断しないことも重要。むしろ、夫婦だからこそ、相手に尊敬される男でいないとダメ。体型や身なりに気を遣うことだってそう。「うちのお父さん、昔は良かったのに……」じゃ悲しいわけ。夫婦である前に、いい男、いい女でいないと。とらえ方ひとつで、結婚は自分磨きを続けることのできる最高の自己投資になる。
今という時代のなかで、勝敗を分けるもっとも大きなポイントは、「優先順位の付け方」だと私は思っている。
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ひとりで死ぬことが「孤独死」で寂し過ぎるというのは本当?本人は幸せかもしれないよ。勝手に不幸だと決めつけているんじゃないかな。死はどんな形でも、たかが死なんですよ。家族に見守られていても、人はひとりで死んでいく。看取られたから幸せなわけじゃない。
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「俺にできないわけねぇや、たいしたことねぇや」と思った上で、一生懸命やる。
もし、時間が許すなら30分くらい席を離れちゃうといい。部屋の空気を入れ替える感覚で。オレも社内で企画会議をしていてどうもうまくいかない時は、スタッフと一緒に外へ出る。と言っても、会社の前の道を下ったラーメン屋に行くだけなんだけどね。でも、そこでスタッフとバカ話をしていると、自然と違うネタが浮かんでくるんだ。そしたら、ウォーミングアップ終了で、坂道を上りながら「あと1時間だけやろうか」と会議を再開する。
元気と勢いは大切。アイデアや企画を社内や社外へプレゼンする時、データを積み上げたり、根回しをしたり、通りやすくする準備っていろいろあるけど、最終的には提案者の熱量が物を言う。
結局のところ、その相手がいい仕事をしてくれるようになればいいわけで、叱るか叱らないかの問題ではない。
自分が持っているものを捨てる。そうすることによって、はじめて新しいものを手に入れる。手にしたものを捨てられない人は、新しいものには出会えない。新しい女性に出会うためには、前の恋人と別れなければいけないのと同じように、昨日の自分を捨てなければならない。
強い個性や欠点が、あるとき、武器となって輝き始める。
無理に好かれようとすると、今度は万人に嫌われるんじゃないのかな。
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先輩の演出家が、締め切り直前に大逆転のいい企画をひねり出すのを目の当たりにして、オレも落ち込んだ。でもね、あるとき気づいた。一見天才肌に見えた先輩も、本当は日頃から企画の種を集めていた。だから、会議室で土壇場に「なんかない?」と言われたときに、「これはどうですか」と提案できた。その場で考え出したように見えるアイデアも、実は事前の準備があるから出てきていたわけ。
たとえばさ、友達に自分の商品とかダメ出しされた時とかさ、「じゃあ、どんなのがよかった?」とか聞くでしょ。お客に対しても、基本はこんな姿勢でぶつかればいいんですよ。
昨日の自分を信じない。昨日の自分が好きじゃない。昨日の自分に興味がない。何かを成し遂げようというとき、これはとても大切なことだ。何かを成し遂げるためには、延々とその場で粘ることが大事だと思われがちだが、じつはそうではない。自分を成長させるためには、昨日の自分のままではいけないのだ。
叱るのが苦手という人は、叱る前に相手の良さを引きだそう。
矛盾を受け入れる力をサラリーマン時代につける。サラリーマン人生は僕にとって最高の地獄でしたね。最低じゃなくて最高の。だからこそ、いまの自分がある。
私が長年携わってきたテレビの演出という仕事は、出演者たちの良さを引き出すことに尽きる。
毎度のグダグダな酒のつき合いは一度きっぱり断ってみよう。丁寧に「今日、行きません」と言えばいい。もし、「なんでだ?」と聞かれたら、「我が社のために」をつけて返そう。「我が社の発展のために、合コンで若い子の情報を仕入れてきます」とか、「我が社の発展のために、スキルアップに行ってきます」とね。わかっている上司なら一目置くはずだよ。
誰かをもっともらしく叱るというのは、自分の感性を鈍らせること。
「昨日の自分に興味がない」というのは天才の条件のひとつだ。天才は基本的に昨日の自分を信じていない。たとえ昨日、何を成し遂げようとも、昨日の自分をみんなが賛美しようとも、本人はすでに興味がない。もう「次」を見ているのだ。
テリー伊藤のすべての名言