日野原重明
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自分のためにでなく、人のために生きようとするとき、その人は、もはや孤独ではない。
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人生とは未知の自分に挑戦することだよ。
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今年で93歳になりますが、いまできることに、いまこの瞬間に全力で取り組むという気持ちは少しも薄れていません。
これまでの教育は、出来あがったデータを記憶させる教育であった。困難な問題にぶつかったときに、問題解決が出来るような能力を与えられていない。本当に学ぶべきなのは、問題とどう取り組むか、どういう戦略を立てるべきかということである。学校を出てからも自分で出来るような頭の仕組みを作る。そして、その仕組みに従って生活をし、行動することが必要なのである。
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命はなぜ目に見えないか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい。
人間の体には3万6000もの遺伝子がある。その多くが使われないままなんです。それはあまりにもったいない。違った環境に身を置けば、うちに秘めた未開発の良き遺伝子が、思わぬ花を咲かせるかもしれない。
命とは君たちが持っている時間である。
病気になるのは辛いことですが、のちのちの健康を考えれば悪いことばかりではありません。たとえば私は医学生のころ結核にかかりましたが、長く病床に伏した経験があるために、患者さんの気持ちがよくわかるようになりました。90歳を過ぎたいま、他人の何倍もの仕事をこなしていられるのは、結核を克服することで病気全般に対する免疫力、抵抗力が高まったからだと思っています。
生かされている最後の瞬間まで、人は誰でも「人生の現役」なのですから。
何事も、今ある規則のとおりにやっていたのでは進歩はない。規則を破るようなことをやらないと、現状はなかなか変わらない。規則を破ったとしても、皆が応援するような破り方をすればよい。そうすれば、新しい良い規則がずっと早く出来る。
83歳まで生きた貝原益軒は「腹八分」といいましたが、私はそれよりも少ない「腹七分」がいいと実感しています。とりわけ65歳を過ぎると、若いころとは違って運動量が少なくなります。ですから、年をとればとるほど節食を心がけるようにすべきです。
十歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。あらゆることをピーンと感じる感性を持っているんです。
生きていることの意味は自分で探し勝ちとるものです。それがつまり生きがいにつながります。
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鳥は飛び方を変えることは出来ない。動物は這い方、走り方を変えることは出来ない。しかし、人間は生き方を変えることが出来る。
誰しも幸福を望みますが、それを実感することにおいてはきわめて鈍感です。
人間は生き方を変えることができる。繰り返す毎日の行動を変えることにより、新しい習慣形成により、新しい習慣の選択を人間は決意できる。人間には選択の自由がある。そして、意志と努力により、新しい自己を形成することができる。
2年先までスケジュール帳に空白がない。
人間とはそもそも「病む」生き物であり、必ず欠陥を抱えて生きています。そのことを踏まえたうえで、今日という日を健やかに生きればいいのです。人間ドックで調べてもらえば、多くの人はどこかに悪いところが見つかるでしょう。しかし検査で指摘されるようなあれこれの病を抱えていても、今日の仕事を快く終えることができればありがたいと思う。そして、翌朝、さわやかに目覚めることができれば、それが健康ということではないでしょうか。
私たちの身体は土でできており、身体は早晩、土に還る。私たちは、この土の器の中に、はかりしれない宝を入れることが出来る。私たちの寿命は、土の身体に何を容れるかを模索することで費やされる。器は器のためにあるのではなく、中に何ものかを容れるためにあるからである。
私自身、結核という対病を経験したことで、ちょっとした健康を喜ぶことができるようになりました。幸福というものは、失われかけてはじめて気が付くものなのです。
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