日野原重明
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人間の夢見る幸福というのは、往々にして、貧乏するとか、仕事に失敗するとかあるいは病気にかかるということによって、一瞬にして不幸に変わってしまうような、儚いものである。病のなかにも心の幸福を得るためには、どうしたらよいかということを、考えなくてはならない。
やりたいことは、まだまだたくさんあります。私はどれも「できる」と信じています。信じてね、「ゴー」ですよ。
どんな困難に直面しても、「ここから始まるのだ」ととらえ直すことができれば、私たちはかならず前進できます。
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みんな、自分との出会いがあっても気がつかないの。自分との出会いがあって、初めて自分がわかる。未知の自分というものがそこに存在しているけれども、自分との出会いで、私たちは本当の自分ということに気づきがあるんじゃないかと。
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教会には「退修会」という言葉があります。世俗を離れ森の中に入って身を清めながら祈りをささげる。置かれた環境や立場の違う人たちと、一緒になって沈思黙考していると、世の中には自分よりもいろいろな制約を受けながらそれでも懸命に生きている人たちがいることに気付かされる。明日への勇気がわいてくる。
かつて自分ができなかったこと、やり残したことを、思い切ってやることが、「夢を叶える」ということなのです。
よき眼と耳、暖かい手と配慮の心、しみ込むような言葉を持ち、患者と家族に接したい。
人間にとって最も大切なのは、命の長さだと思っている人は多い。しかし、私が出会った人を振り返ってみて、その人の命が素晴らしい命だと思える人においては、ごく少数の例外はあるにせよ、命の長さはあまり問題ではない。
実は、90歳のときに10年計画の遺伝子解析プロジェクトに着手したんです。結果が出ることには私は100歳になっている計算です。無理だろうと考える人が多いでしょう。でも、日本の100歳以上のお年寄りの人口は、40年前は百数十人でしたが、いまでは2万人以上に増えている。可能性はあります。もし許されてプロジェクトを全うできるなら本当に幸福だなと思います。
人は主義や主張より前に、人間であることを必要とする。人間の本質的な人間性を踏まえての、主義、主張でなければならない。
怖いね、聞くと嫌になるね。はっきり言われると恐ろしい。おろおろすること以外で、何もできない自分を感じてね。おろおろする自分は、どうしたらいいかということを考える。人間は病むことによって、本当の人間が現れてくるんだなと。人間、存在をおろおろする中に、やっと気付いてくる。
少し肩の力を抜いて、「お上手、お上手」と自分に声をかけていきましょう。
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人はえてして自分の不幸には過敏なものです。
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ものすごく忙しい。健康のために睡眠をたっぷりとり、三食きちんと食べて、適度に運動するなんていうことは私には到底できない。絵に描いた餅です。本業の医療、病院経営の仕事のほかに、物書きをしたり、1日18時間ぐらい働いています。それでも私は毎日が爽快なんです。老いて弱った体と、不規則で過密なスケジュールにうまく適応して精一杯生きる。それが私の生き方上手です。
50代、あるいは60代に向かおうとしているこれからは、いよいよ自分のやりたいように、自分が自分を開発する自由が与えられる時期です。そうして開発した自分を、社会に還元していくのが、第二の使命だと思います。
心の良い習慣というのは表情やしぐさにあらわれる。人の顔つきも習慣なのです。
無理な延命治療は患者を苦しめ、家族や社会にも重い負担を強いている。必要以上に延命治療をやりたがる医師は、医療行為を営業行為と勘違いしている。
家族とは、「ある」ものではなく、手をかけて「育む」ものです。
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これは大変なことになった、と思い、とっさに頭に浮かんだのは、こうした緊急事態で人間の脈拍はどうなるだろうか、という疑問でした。隣に座っていたご婦人の脈を取ろうと思ったのですが、妙な疑いをかけられても困ると思いとどまり、自分の脈を測りました。するとやはり、いつもより脈が速くなっていて、ああ、私はいま興奮しているんだなあ、と納得したのです。つくづく医者なんですね。
戦後60年近くが経ち、企業や経済のシステムにも老いが目立ってきました。予算がない、人材がいない、経済が悪い、政府が悪いなどと不満を並べていても何も変わりません。いまある資源でなんとか突破口を見出すしかありません。ビジネスのために人間があるのではなく、人間が人間らしく生きるためにビジネスがある。こんな時代にこそ原点に戻って再出発することが必要でしょう。環境の変化に老練な知恵で適応する生き方上手な企業の登場に期待したいと思います。
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