日野原重明
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私たちは運命を生きるのではなく、運命を作っていくのです。
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人は最後の瞬間まで、生きる希望に支えられるべきなのです。
私たちの身体は土でできており、身体は早晩、土に還る。私たちは、この土の器の中に、はかりしれない宝を入れることが出来る。私たちの寿命は、土の身体に何を容れるかを模索することで費やされる。器は器のためにあるのではなく、中に何ものかを容れるためにあるからである。
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ものすごく忙しい。健康のために睡眠をたっぷりとり、三食きちんと食べて、適度に運動するなんていうことは私には到底できない。絵に描いた餅です。本業の医療、病院経営の仕事のほかに、物書きをしたり、1日18時間ぐらい働いています。それでも私は毎日が爽快なんです。老いて弱った体と、不規則で過密なスケジュールにうまく適応して精一杯生きる。それが私の生き方上手です。
教会には「退修会」という言葉があります。世俗を離れ森の中に入って身を清めながら祈りをささげる。置かれた環境や立場の違う人たちと、一緒になって沈思黙考していると、世の中には自分よりもいろいろな制約を受けながらそれでも懸命に生きている人たちがいることに気付かされる。明日への勇気がわいてくる。
毎日何を書くかを考え、推敲し、アップすると、即座に読んだ人からの反応がたくさん返ってくる。これが本当に嬉しい。僕はもう、毎日わくわくしています。こんな楽しいことをなかっやらたら、もったいないですよ!
自分を相手に置き換える想像力を、身につけたいものである。
生きがいとは、自分を徹底的に大事にすることから始まる。
戦後60年近くが経ち、企業や経済のシステムにも老いが目立ってきました。予算がない、人材がいない、経済が悪い、政府が悪いなどと不満を並べていても何も変わりません。いまある資源でなんとか突破口を見出すしかありません。ビジネスのために人間があるのではなく、人間が人間らしく生きるためにビジネスがある。こんな時代にこそ原点に戻って再出発することが必要でしょう。環境の変化に老練な知恵で適応する生き方上手な企業の登場に期待したいと思います。
人間の夢見る幸福というのは、往々にして、貧乏するとか、仕事に失敗するとかあるいは病気にかかるということによって、一瞬にして不幸に変わってしまうような、儚いものである。病のなかにも心の幸福を得るためには、どうしたらよいかということを、考えなくてはならない。
やりたいことは、まだまだたくさんあります。私はどれも「できる」と信じています。信じてね、「ゴー」ですよ。
どんな困難に直面しても、「ここから始まるのだ」ととらえ直すことができれば、私たちはかならず前進できます。
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いろんな人と会うこと自体が自己発見。1人でいると自己発見はない。みなさんと一緒になって、今日の日を迎えることに感謝。以前の私の感謝よりも、苦しみが強かっただけに、今の感謝は以前の感謝よりも何倍も何倍も大きな感謝。
マルティン・ブーバーという著名な哲学者は、「人は始めることさえ忘れなければ、いつまでも若くある」という言葉を残しました。新しいことへの挑戦を続ければ、体は老い衰えても、心の若さはいつまでも続く。私なりに「創める」という字を当てて座右の銘にしています。
みんな、自分との出会いがあっても気がつかないの。自分との出会いがあって、初めて自分がわかる。未知の自分というものがそこに存在しているけれども、自分との出会いで、私たちは本当の自分ということに気づきがあるんじゃないかと。
かつて自分ができなかったこと、やり残したことを、思い切ってやることが、「夢を叶える」ということなのです。
よき眼と耳、暖かい手と配慮の心、しみ込むような言葉を持ち、患者と家族に接したい。
人間にとって最も大切なのは、命の長さだと思っている人は多い。しかし、私が出会った人を振り返ってみて、その人の命が素晴らしい命だと思える人においては、ごく少数の例外はあるにせよ、命の長さはあまり問題ではない。
今年で93歳になりますが、いまできることに、いまこの瞬間に全力で取り組むという気持ちは少しも薄れていません。
人は主義や主張より前に、人間であることを必要とする。人間の本質的な人間性を踏まえての、主義、主張でなければならない。
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