富野由悠季
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好いてください。大衆として、小さいかも知れないチXポコ、一生懸命振り回してるんだ。
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普通の人が正気で人殺しをできるとは、とても思えないんです。
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自分の欲しいものがパッと買える時代というのは、ここ10年という歳月で日本人が手に入れた現象で、もうちょっと前の人たちは、そんなに欲しいものはなかったし、なくても暮して行けたんです。欲しいものが手に入らなかったらさびしかったか、想像力が貧困だったかというと、そういうわけでもありませんでした。どうしても我慢をしなければいけないことがあるために、自分を訓練することができたのです。
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頼るべきは原理原則。
友達関係は全部が全部ためになる必要はない。ただ、「とりあえず楽しい」というのと「本当に楽しい」というのは、何百キロも何千キロも離れているくらいに、意味が違うことなんです。
読書に興味が持てないのは、興味を持つ機会を探すことを怠けているだけ。きっかけを作って読む機会を増やせば、あなたの可能性は大きく広がるはずです。なぜ本を読まなければいけないか、本を読む、すなわち文章という言葉を追いかけて読んでいくことは物を考えるという筋道を勉強していくことになるからです。
おめでとうとは言わない。僕が欲しかったから。
もうちょっと美しく描いてほしかったなあ。
あなた以上に才能がある人はいっぱいいるので、生半可な気持ちでは、世の中はやっていけません。自分には多くの競争相手がいるということが想像できていないところが、すでにイメージが貧困だと感じます。何ごとも「なあなあ」でできることがあるなんて思わないでください。
アニメという媒体を使って何をするのかということを持ってない人に、作品は作れないのです。
目が大きければいいってもんじゃない、人が死ねばいいってもんじゃない。
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長電話をする必要があるなら、それは電話で済むような話ではないはずで、なんで「会う」というアクションを起こさないんだろう。会う必要がないようなことを電話でしゃべっているということは、ひどくあいまいな人間関係でしかないんじゃないだろうか、携帯電話で済む程度の人間関係をそんなに尊重する必要があるのかという気がするのです。
データを集めるということ、もしくはデータが過多であることが、必ずしも学識を深めるものではなく、本当の意味での自己鍛錬を怠けさせる傾向があるように感じられます。安易に物をため込んでしまったために、人がものを考えたり感じたりする能力がひどく低下しているということに気がつく必要があります。
僕がずっとアニメの仕事をやっていられるのは、アニメが好きだからではなくて、本当に実写映画を撮りたいと思っているからです。でも、現実にいまだそういう機会は巡ってこないわけで、死ぬまでに巡ってくるかどうかも分かりません。だけど、この願望・欲望というのは、死ぬまで否定することはできません。否定できないからこそ、いざ実写映画を撮れるということになったときに、監督としてのスキルが落ちていることがないように、アニメの仕事を億劫がらずにやっているんです。
現にアニメ好きが作ったアニメほどつまんないものはないじゃないですか?
僕がこの職業を選んだきっかけというのは、まず就職難の時代であったと同時に、僕にロクな会社で勤められるほどの才能がなかったということ。さらにテレビアニメを制作しているプロダクションの入社試験が、たまたま僕が卒業する年にだけあって、その試験にたまたま受かっただけのことなんです。基本的に時の運、巡り合わせなんです。
「興味のない本でも読まなければならないのですか」当たり前です!興味がないから本を読んで、興味がもてないなりに勉強をして知るという行為をしなくてはいけません。知らないことを学習することが、自分の得につながるのです。その得が、その先の人徳というところにまでつながっていくのです。
まずは皆が見てくれるものを一生懸命作れ。なんで作品に自分の主義や主張が出てくるんだ。個性なんていうものは、嫌でも一番奥に置いていても出るんです。なのに初めから自分のつまらない個性をバンと出して作ったらつまらない映画にしかならないのは当然のこと。
シャ――って来るからシャアなんだよ。
アニメが好きで、アニメばっかり見てきたっていう人に作品が作れるのか、というと、ハッキリ言い切ります。作れません!
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