水野和敏
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なぜ、モチベーションが下がるのか。答えは簡単です。「欲」で仕事をしているからです。評価されたい、もっとお金が欲しい、名声が欲しいといった欲が満たされないときに、人は挫折し、モチベーションが下がるのです。人間には「求める生き方」と「尽くす生き方」があります。欲ではなく、尽くすために仕事をしている人には、モチベーションの低下はない。そして、世のため、人のために尽くせるのが、プロです。
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スペシャリストには転職を前提とした雇用政策で対応すべき、という通説も根強いものがありますが、むしろ逆。スペシャリストのようなコア人材こそ、昔ながらの安定した雇用の中で成果を出す。「終身雇用のメリット」について、経営者たちはもう一度、真剣に考え直すべきです。
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仕事はお客さんに尽くすことだけを考えればいい。
「自分はあれをやったんだ」と自慢しても大して気持ちよくない。でも、「うわあ、スゴイクルマをつくったね」と褒められれば、本当に気持ちがいい。
サーキットに来てくれた観客が総立ちになるような走りを、どうすれば見せられるか。それだけを自分にも、メンバーにも言い続けてきました。
会社に入って専門職を目指そうとか、いや、やっぱり管理職がいいとか、そういう課題設定をすること自体が、そもそも間違っていると思いますね。本当に問題にすべきなのは、まず経営者が描く企業戦略です。まずは経営者がとるべき戦略を明確にする。その次に初めて社員のとるべき道が見えてくるはずです。
初代プリメーラの企画を出したときから、私の仕事はずっと社内では批判されてきました。正しいことをやろうとすれば叩かれてばかりです。このときに、自分の社内でのポジションや評価などを気にしていたらやっていられません。自分が頑張った先にはお客様がいると思うから耐えられた。
収益や順位はあとから勝手についてくる結果であって、自分たちから求めるのは筋違い。
カルロス・ゴーンはコストカッター、リストラ社長といわれ、各方面から散々バッシングを受けました。実際には彼はむやみにコスト削減だけを進めたわけじゃなく、新しい分野にも果敢に打って出ました。そのひとつがGT-Rの開発だったし、それ以外にも日産は様々な改革を実行し、飛躍しました。
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誰だって感性で判断して生きているんです。感性でモノづくりをすることは、そんな難しいことじゃありませんよ。
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「会社にいても自分の車が作れない」と自分だけしか見えていなくて、それだけ自分中心だったからこそ迷っていた。でも、商品は人を喜ばせるためのもの、と心底わかればそれまで見えていなかったものが見えるようになって、ようやく何のために仕事をしているのかがクリアになったんだ。
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昨今は社員に対する投資という責務を果たさない経営者が「私の若い時はこうだった。だから、従業員にもそうあってほしい」などと一方的なことを言っている。従業員を育てる努力をせず、「何で君は育たないんだ」と言うのは筋違いですよ。
スペシャリストにしても、オペレーターにしても、終身雇用を前提にした方が育つ。これは今の会社経営の流行とは逆でしょう。要するに、企業が社員に対して投資をしなければ、人なんて育たないんです。
自動車会社の最大の欠点ってわかる?この10年、携帯電話は誰が見たってものすごく進化したのに車はそんなには変わらなかった理由ってわかる?それは「自動車会社がでかすぎる」ってことなの。部署だって多すぎる。これについては実験部が、あれについては品質保証部が、と業務が細分化されすぎて、工場のラインでは最新の防塵室においてロボットが車を作っている。人間は何をしている?管理だけだよ。そうなれば、組織と工場のラインを守ることを「いい仕事」と錯覚してしまうのも無理はない。それで、車の進化は止まってしまうの。だから俺は2007年の「GT-R」のフルモデルチェンジに関しては、40人という小規模、4年間という短期間でやったの。スタッフの数、お金の額、時間の分量に余裕がありすぎるのが、仕事をダメにするんだと常々考えていたからね。
でかい会社で新しいことをやるのは簡単じゃないよ。日産の商品は売れていて、年に何千億円も利益が出ていたその時に「もっといいことを」と言いだしたんだから。「もっといいこと」って、これまであった、しかも結果を出してきて当時はまちがっていなかった社内の文化やそれに関わった人々を否定することになるんだからね。そりゃ、反対意見や、心情的なところでの「犠牲者」が出ないはずがない。だから、もしも新しいことをやるなら、その中心にいるやつは馬鹿で無欲にならなきゃダメでしょう。地位や保身や昇給なんて求めていたら、大企業では新しいことなんてできない。それにいくら正しいことを言い、論戦で勝ったとしても、結局は人を傷つけるだけでしょう?「まあ、アイツじゃしょうがない」「勝手なことを言いやがって。言いだすと聞かねえからな」そう言われなきゃね。馬鹿になれなきゃ、新しいことなんて絶対にできないよ。
これまでのスポーツカーというのは、進化するほど軽量化していった。だからダメだったんだ。スピンしやすく、タイヤの温度依存性も高く、冷えたら途端にグリップ性能が下がっていた。すると、雨の日の運転なんてあぶなくて仕方がなかった。それで「安全のために」なんてネガティブな方向での制御機能を追加し、アクセルをきかせなくしちゃった。でも、これのどこに運転の楽しみがあるの?だから「GT‐R」は逆を行った。軽くせず、重くする。重量をエネルギーに変える。これはスポーツカーとしては世界初のコンセプトなんだ。「GT‐R」の車体重量は1740キロけど、これはすごく重い。でも、だからこそ、砂の上でも氷の上でも雪の降るサーキットでも滑らない。
俺はいつもどんな大きなプレゼンテーションでも、誰に話をしにいくのでも、原稿ってのは用意しない。そんなのなくたって、そのクルマについて一番知っているのは俺なんだ。言動が誤解されても、そのときの俺の話がまずかったんだと思うだけで、ウソはついていないし、どう受け取られるのかについては相手の自由なんだからそれでいい。生のまま、身を絞り出すようにして、そのときに一番強く思っていることをぶつけるだけ。
人が増えれば、方向性を統一するのに時間を食うだけ。お金があって試作品をいくつも作れてしまえば、失敗が許されない一球入魂の緊張感はなくなってしまう。それに、経験から言っても、だいたいのプロジェクトの限界って三年ぐらいなんじゃないのかな。それ以上続けるとプロジェクトは薄まったものになるから急ぐ必要があった。それでプロジェクトをかたちにするための人作りにまず一年半かけて、クルマについてはそこから実質二年間で作ったんだ。
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1992年のクルマは700馬力ちょっとなのに、富士スピードウェイのストレートエンドで時速400キロも出ていたからね。F1でもできない、時速400キロ超えからの1コーナーでのフルブレーキを見られたんだもん、当時の日本のお客さんは幸せだったんじゃないの?でも、それが実現したのは、お客さんがそこでのブレーキングを見どころにしていて、そこから俺たちが学ぶことができたからさ。当時、日産が「Cカーレース」で三連覇したのは、お客さんたちに教えてもらうという延長線上で自然についてきたものなんだ。
1990年から3年間はいわゆる「Cカー」と言われるレーシングカーの開発をやったけれど、ここでもスペックは追わなかった。モータースポーツ全盛の時期でサーキットは超満員だったから、お客さんの喜ぶクルマを作ろうと思った。なぜか?車好きのお客さんが注目する「レースの見どころ」って、そこでクルマの性能が問われるから見どころになっているんだという確信があったんだよ。それで客目線でレースを見ていれば、レースは直線よりもコーナーで競うものなんだとはすぐわかった。アクセル全開にできるところなんてコース全体の一割もないんだから、900馬力のマシンを650馬力にした。そのほうがドライバーがいつ踏んでも反応するエンジンになり、燃費もよくなり、壊れにくくなる。
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