市川海老蔵
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先輩たちは「やっぱり子どもがいなかったら松王丸の心境はわかんねぇだろ」っておっしゃるんですよ。でもね、子どもがいてその心境がわかるのは写実にはなるけれども、その役に閉じこもるわけですよね、ある意味。でも子どもがいなければ、どういう心境なのか模索するという作業が広がるわけですよ。
人間としては今以上に楽しんで生きていきたいし、歌舞伎役者としてはやるべきことをやっていく。
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「前はこうだったから」と経験則で考えた段階で、過去にとらわれてしまい、新しい情報が入り込む余地はなくなる。
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人間がこの世界のすべてを知っているわけではないですからね。元素だって確認されているのは110いくつでしょう。でも、きっと170や180はあるんです。つまり僕らには見えないもの、認識できないものが周りにいっぱいある。
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橋を取ったら島が流れちゃうじゃん。
歌舞伎の家に生まれたから、歌舞伎役者にならなくちゃいけない。きっといろいろな制約があるんだろうと想像される方も多いですよね。でもそれはあくまでも「歌舞伎」という世界に対してもたれがちな固定概念であって、実際はそうでもなかったりするんです。歌舞伎はもともとなんでも取り入れる精神があったものなんです。江戸時代まで行くと、今日あった悲惨な事件を受けて、明後日には新しい芝居が上演されていた時代もあったんですよ。そうして最近では、古典とともに新しい作品をやらなくては、という流れになってきました。
私は、舞台上の一秒に執念を燃やして生きています。そうすることで、舞台外での一秒一秒もとても大切に思えてきます。
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僕らの世代がもっと危機感を持つべきなんじゃないかと、最近よく思うんですよ。国の借金とかいろいろ事情はあるけれど、僕は"文化力"が低下していくのがなにより怖い。そんな状況下で、この先も歌舞伎は生き残っていかなくちゃいけないわけですよね。
新作を立て続けにやると、お客様の感覚がより刺激的なものを求めるようになる。そうなると、古典が物足りなく感じられてしまう危険性があるじゃないですか。それは自分の目指すところではありません。
なんだおまえ芸人だって?じゃあモノマネやれよ。
数年前までは歌舞伎の舞台の上だけが本番で、そんな人生だからあとはどうだっていいじゃないかと思っていた。でも近年は、日常も本番、朝起きて神棚に手を合わせ、花や水を入れ替えるところから本番なんですよ。本番の延長に舞台があるので、ムダな緊張はなくなってきている。それが実力を発揮することだと思うので。
常識にとらわれていたら、短い人生でまともな成果は得られない。
どんな衝撃にも耐えうろうと思っているから、どんどんでかくならなきゃいけない。だからといって古典一本ではないし、ブログもフェイスブックもやるし、映画にも出る。芸術家、アーティストとしては全部やった方がいい。いろいろなところを旅して、太く太く生きて見付けていく方が本物に近づいていける気がする。なりたいじゃん、本物に。
似てねぇよ、消えろバカ。
見えないリスクについて悩むのはまったくの無意味。悩むぐらいだったらまずはやってみようよ。
時には力を入れることも必要だけれど、遮二無二やったのでは目指す地点には到達できない。般若心経には無という文字が最も多く出てくるくらいで、「ない」ことほど強いものはないんです。無になった時にこそ、その人の本当の才能がわかるんじゃないでしょうか。
3年で消える。
五右衛門が秀吉から盗もうとしたとされる香炉を徳川美術館で見せていただきましたが、元はただの土じゃないですか。でも、歴史の重みや人々が触れていたときの環境、空気を持っていますよね。それを僕たちは香炉を通して体感できる。そういうものに美しさを感じるように、演劇という文化が残ってきた。
人生においては、何が起こってもどんなことがあってもマイナスになることはない。一時、マイナスになると思っちゃうんです、人間って。でも、そんなことはない。絶対にプラスになるので、そう受け止めていかなければいけないと思っている。
考えたからといってリスクは消えないし、考えた時間が長いだけ、準備に使える時間は減っていく。
市川海老蔵のすべての名言