鍵山秀三郎
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私は先般、山口県光市の浅江中学校で開催された「掃除に学ぶ会」に参加しました。そのとき、生徒が規律を守り、たいへん礼儀正しいことに驚きました。普通の中学校では、講堂で集まるといった場合、列も真っすぐ並べない。ワイワイガヤガヤと私語して、先生が「静かにしなさい」「静かにしなさい」と5回も6回も言ってもまだ静かにならないという具合です。しかし、浅江中学校では真っすぐ並んで集合し、私語もなくシーンとしている。私があいさつをするため列の前に出ていくときでも、まるで無人の林を行くが如くの静かさで、本当に秩序を守って待っていてくれたのです。私はそれを見て、子どもというのは指導者さえしっかりしていて、正しい指導をすれば、いくらでもよくなるということを実感したのです。
企業としては、すべての時間を利益の追求に費やしたいと考えがちですが、それでは会社としての魅力はないし、社員の成長も限られてしまう。会社の利益に直接結びつかないことでも、会社のためにプラスになることであれば、できるだけ引き受けていく。そうすると会社にも社員にも幅が生まれ、豊かな心で仕事を進めていくという社風が醸成されます。
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冬は辛いですよ。朝早く、ふるえるような寒さの中で掃除をするのは、何年も掃除している私にとっても、けっして愉決なことではない。ところが、今日は眠いからといってやめてしまうと、「あいつはやっぱり口だけだ」となってしまう。昨日までやってきたことを無駄にしないためにも、継続することが大切です。
たとえ小さいことであっても、正しいことをやり続ければ必ず大きな影響を及ぼすようになる。
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リーダーとして一番心しなければならないのは、「至誠神の如し」ということに尽きるのではないかと思っています。リーダーは誠を尽くすしかない。
残念なことに格差は開きつつあります。しかし、そこで諦めたり、へこんだりしてはいけません。そもそも格差はけっして悪いことではなく、憎む必要もありません。格差があるから挑戦していこうという人も出てくるのです。みんなが完全に平等だったらがんばる人はいなくなるでしょう。
大切なのは努力することです。努力をしなかったら何も始まらない。だから私は、掃除の実践を通じて努力のしかたを伝えているのです。掃除を通して精進することで、どんな人でもある一定の水準まで向上できる。その人たちが努力をすれば何とかなるという確信が持てれば、いかなる境遇になっても絶望しないですむ。
一番の問題は、他者のことを思いやれないほど、社員を追いつめることです。追いつめられると、人間は自分のことで手一杯になる。すると他人の苦労、骨折りに対して、感情移入もできず配慮もできなくなるのです。追いつめられた人が多くなると、社風は悪くなり、社会にも伝染していく。そして悲しいことに、追いつめられた人は、自分より弱い人に当たるのです。それがつながっていくと、いずれは社会の一番の弱者にそれが行く。どこにも当たるものがない弱者は、やり場のない怒りを持ち、今度は不特定多数に怒りをぶちまける事件を起こしてしまうわけです。
私どもはフランチャイズチェーン展開もしておりますが、こちらから加盟をお誘いした企業はほとんどありません。当社の社員の立ち居振る舞いや、仕事の進め方を見て、取引をしたいとおっしゃってくださった企業ばかりです。このような信頼を築いてこられたのは、掃除をはじめ、凡事を徹底してきたことが大きいと思います。
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私にとって掃除は、人から押しつけられたものではなく、自分の中から出てきたものだからこそ、辛くても耐えられるのです。
私は平和主義者です。世の中を平和にしたい、みんなが穏やかに暮らせる社会をつくりたい。だから私は掃除活動をしているわけです。環境が荒れた状態の中で心が穏やかになるということは絶対にありえません。これは経験から得た私の結論です。
私はせっかく自分の人生が与えられているわけですから、ある程度は向上心であるとか、適切な好奇心を持っているほうがよいと考えます。まったく自分に夢を持たず、ただ毎日を無難に生きていけたらそれでいいというのではもったいない。
一回の掃除では何も変わりませんが、積み重ねることで信頼に変わっていく。
成功のコツは2つ。それは「コツコツ」。
能率、効率をあげるために努力は必要ですが、度を過ぎた追求は人間の心を崩壊させます。もちろん、誰だってお金は欲しい。給料は一円でも高い方がよいでしょう。それは決して誤りではありません。しかし、そこだけを追求すればみんな満足するかというと、ますますもっと望むばかりで、心が渇いてくるのです。私は高い給料やボーナスが悪いと言うのではありません。経営者として報酬を出すことは大事なことですから。ただ、それだけでいいはずはない。厳しい目標追求をした分だけ、社員の穏やかな心をどうやって維持するかが大切なのです。
良心が咎められるような仕事をさせられていては、元気になるわけがありません。私はいまの企業の多くが、目の前の売上のために自分の良心を売るような仕事を社員にさせている、企業がいわば犯罪人製造株式会社になっているのではないかという危惧を抱いています。
ここが一番肝心なのですが、失敗を重ねたことを乗り越えた人のみが、自分の才能というものを見つけ出して、それを生かし最後の成功を手にするわけです。
余裕をなくすと先のことを考えなくなる。これは政治にしても経営にしてもよくないことです。
目的や目標は日常でなすべきことをきちんとやれば、自然に見えてくると思います。普段やるべきことをやっていない人が掲げるのは欲望です。多くの人が挫折してしまうのも、自分の欲望を目的・目標と勘違いしているからではないでしょうか。
企業の効率主義は決して悪いことではありません。しかし、度の過ぎた効率主義はその企業を社会悪へと走らせます。企業の経営者が度の過ぎたことを社員に要求し始めると、その社員はとんでもないことを始めるわけです。
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