鍵山秀三郎
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いままで、誰にでもできる平凡なことを、誰にもできないくらい徹底して続けてきました。そのおかげで、平凡のなかから生まれる大きな非凡を知ることができました。この非凡には、人を心底感動させる力が秘められています。
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人は案外、人の話を聞いていないものです。自分の言う分だけを話して、人が話すことには興味がなければ上の空。それだけに、人の話を真剣に聞くと、たいへん喜ばれます。話し上手になるには、聞き上手になることです。
よその会社のように、その人の上げた売上高、利益額といった数字で評価したりすることはありません。その人がいかに誠実に仕事に取り組んでいるか、誠実にお客様に奉仕しているか、そういったメンタルなものを主たる評価基準にしています。
自分の意にならない、そんなつらいときにこそ成功する。自分の都合のいい条件でやっても成功はない。なぜなら、これをこうすればとか、こうなればとか、さらにいい条件を期待してしまう。そうなれば、すべてに甘えが出て絶対に成功しなくなるのです。
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余裕とは先に楽しみがあるからできてくるものです。昔は貧しくても余裕がありました。ところがいまは先に楽しみを取ってしまって、あとから義務や債務の始末をする。逆転してしまったのです。ですから私は、よいことが後に控えていることはいますぐなすべきだと考えています。普通の人は「益がなければ意味がない」という。しかし、二千五百年前の晏子は「益がなくとも意味がある」と言いました。
事業を営む上で何を目標とするのかは、たいへん大切なこと。
平凡なことを非凡に努める。
私は、「平凡な人を非凡に育てましたね」と言われました。しかし、そうではありません。「平凡な人が平凡な仕事をしても成り立つ会社にした」だけなのです。だから、平凡な人が非凡な仕事をしたわけでもなく、平凡な人が非凡な人になったわけでもありません。経営者である私自身も非凡ではありません。ですから人に非凡なことは求めませんでした。自分だってそうではないのですから。平凡な人でも気を入れて、責任感を持ってふつうに仕事をしていたら、経営は成り立つものです。
どんな立場で、どんな仕事に就いている人でも、経営に携わるとなれば公の心を持っていなければいけません。ところが残念ながら、自分の会社だけ売上と利益が伸びて、業績さえ上げればいいという経営者が多いのです。しかも同じ経営者でも、サラリーマン経営者になってくると、自分の任期だけよければいいという考え方に陥る。ですから、後任の人は苦労させられ、また同じ愚をくり返していくのです。
気の利いた文面よりも、ハガキはとにかく書くことが大切。
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不幸というものは、いつもいきなり背中から襲ってくるものです。予告なしに訪れるものであるからこそ、日常の気構えが必要なのです。
私が考える責任感の本質とは、自分以外の守るべきものを持つことにあります。
ひとつ拾えばひとつだけきれいになる。
段取り8分に、仕事2分。貴重な先人の訓えがあります。後始末をきちんとすることが前準備につながり、仕事の質と効率を高めます。
いまの若者は、よく富や名声を目標にして自己実現したいと言います。しかし、そんなところに自己実現なんてないんです。本当の自己実現は、人の役に立って喜ばれたときなんです。地位だとか名誉だとかいう欲望だけを満たして、それが自己実現だと考えるのは大変な勘違いです。
同じお金を使うにしても、すぐ効果の出ることに使うだけではダメなのです。むしろ5年後、10年後に効果が出てくるようなことにこそ使うべきです。
心中の覚悟こそ真の原動力。
長いことやっていれば社風や社員が変わってくることは確かです。しかし、自分が払っている努力に対しての効果は遅い。だから皆何でも途中で止めちゃうわけです。8年ほど前のことですが、私は森信三さんのこんな言葉に出合いました。「教育とは流水に文字を書くようなはかない業である。だがそれを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」もっと早くこの言葉を知っていたら、私は迷わなかったかもしれません。ただそれを知ったのは最近のことですが、自分がやってきたのはこのことだ、森信三さんの言ったことを、私は本当に身をもってやってきたのだと思いました。
目先の損得にこだわる振る舞いは、私から見れば将来確実に不幸になる行動と言えます。なぜならそこには、人として高邁に生きようという美意識がなくなっているからです。そして、そのような美意識のない人物が大成した例を、私は見たことがありません。それは、今までにたくさんの人を見てきた私の、間違いのない法則です。
どんな会社にも、2割は不要な社員がいるといわれています。だからといって、その2割の社員を排除しても、新たな2割が必ず発生するものです。大切なことは、排除するのではなく、受け入れるという考え方です。
鍵山秀三郎のすべての名言