松田公太
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私が短期間で一店舗から上場企業までステップアップすることができたのは、自分の立てた目標に向かい、使命感と情熱を持って歩んできたからだと思っている。
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10代の8年間を過ごしたアメリカの生活は、私の人生に大きな影響を与えている。起業家精神について、何も学校やビジネススクールで勉強しなくても、アルバイトなどを通じて実生活から自然に学べてしまう。それがアメリカの良いところだと思う。
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運は人が運んでくれるものである。
私は人に会うのが大好きだ。自分の知らない人の話を聞くのは実に楽しい。そんな私にとって就職活動は、いろいろな業界の人と会える絶好の機会だった。就職活動を通じて、全部で40社ほどの人と会ったと思う。二度とない機会だけに、できるだけいろいろな業界の話を聞こうと試みた。業界もメーカーから商社、広告代理店、銀行、証券までと幅広かった。
あらゆる仕事について言えることだが、最も大切なのは情熱だ。
私は挫折感とは無縁の人生を送ってきた。銀行での仕事がうまくいかなかったり、起業してからも失敗したことはあった。しかし、楽観的な性分なのか、それとも苦労を苦労と感じないのか、失敗を挫折とは考えないのだ。
サービスとはお客様の顔を見て、自然な会話ができるようになってこそ本物と言える。もちろん、これはマニュアルを実践するよりは、はるかに難しいこと。あの店に行けば、コーヒーを買いながら気持ちの良い会話まで楽しめる。そうした印象を広めることも、リピーターを増やすためには不可欠だった。
「思い立ったが吉日」「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」というのは、子供のころ、母が教えてくれた格言である。とことんチャレンジしてみないと気が済まない私の性格には、いまは亡き母に教えられたことが生きている。
フェロー同士は名前をファーストネームで呼び合うことにした。これは経営理念の作成以来、ずっと守っている伝統だ。一緒に働く仲間にファーストネームで呼びかけることで、お互いに親しみを持ち、絆を築くことができると信じている。
私は一度やると決めたら、徹底的にやらなければ気がすまない。とことんやって結果が出なければ、その時点で理由を考えればよい。
笑顔は訓練で作れるものなんだ。俺も銀行員だったころ、笑顔がなかった時期があった。ちょうど弟がなくなって、笑顔なんて作る気にもならなかった。その頃は、営業に出てもまったく駄目だった。だけど上司の言葉で気付かされて、それからは意識的に笑顔をつくろうと努めた。すると、たったそれだけのことなのに営業の成績も不思議と上がった。最初は無理にでもいいんだ。笑顔を心掛けていたら、本物の笑顔ができるようになり、人とのコミュニケーションが楽しくなってくるから。
目標が設定できたら、すぐに行動に移そう。そして目標を達成するためには、様々な経験を積んでいくことだ。頭の中で結論を出すより、働きながら考える方が、人間の五感をフルに働かせることができる。100の理屈より、1つの行動が勝ることが多い。
一、その一杯に心を込める。
従来の日本企業では、創業者が上場後も過半数の株式を所有し、会社を支配し続けるケースが珍しくない。だが、私は企業の経営者と所有者は別であるべきだと思う。たとえ創業者が経営者を兼ねていようと、株主から罷免される緊張感がなければ、健全な経営は難しいのではなかろうか。
一杯のコーヒーを通じで、お客様、フェロー、社会、そして株主に新しい価値を創造し、共に成長する。
もちろん、フェローから上がってくる情報は重視し、徹底的に分析は加えるが、理論だけでは決められないことも多いのがビジネスなのだ。「カン」に頼って最後の決断を下すというのは、唯一、経営者だけに与えられた特別な権限だと信じている。
株式公開の具体的なメリットとしては、知名度、信用力、資金、人材、という四つがあった。とりわけ知名度と信用力の問題では、上場する前のタリーズには苦労が多かった。事実、上場の効果は大きかった。タリーズのフランチャイズを希望する問い合わせにしても、以前はせいぜい一日に1、2件だったのが、上場後には10件から15件に急増した。
人は机の前で座して考えるより、動きながらの方がより考えられる。
タリーズ・ジャパンには大資本がバックについていなかった。本家のタリーズUSAからの出資は780万円だけ。銀座に店を開くために要した7000万円は私が親戚や金融機関から借りて集めた。成功するも失敗するも、すべては私次第だった。タリーズUSAとの契約内容は、コーヒー豆を買い、ドリンク類に限っては同じメニューを提供するということくらい。当時は店の設計、運営マニュアルなどもないに等しい状態で、私自身も経営者としての経験はおろか、アルバイトを含め、コーヒーショップで働いたことすらなかった。
百の理屈より、ひとつの行動が勝る。
松田公太のすべての名言