アラン
1
握ったコブシを開けば、怒りも消える。
0
優しさや親切や喜びのしぐさを演じるならば、憂鬱な気分も胃の痛みもかなりのところ治ってしまうものだ。
5
太っ腹に相手を信用してかかり、美点をさがすのでなければならぬ。人間に期待をかける人こそ、もっともよく報いられるものである。
3
敵か、それとも味方か。私が攻撃すれば、敵になる。私がなんの恐れもいだかず、微笑してみせれば味方になる。
7
お辞儀をしたり微笑んだりする仕草は、まったく反対の動き、つまり激怒、不信、憂鬱を不可能にしてしまうという利点がある。
喜びを目覚めさせるためには、何かを開始することが必要である。もしある専制君主が僕を投獄したならば、僕は毎日一人で笑うことを健康法とするだろう。
2
彼は決心した、というのはいい言葉だ。一語で、決心と解決という二つの意味を示している。
宿命論が後悔を追い払うのは、人ができることをすべてし尽くした場合に限る。
われわれは、現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。
24
恐怖には、恐怖に対する恐怖というものしかない。
幸福になることはまた、他人に対する義務でもある。
論戦に勝つことで、何らかの真理が樹立された例は、いまだかつて無い。そんなことを信じているのは、子供だけだ。
4
社会は、何も要求しない人には、何一つ与えない。
6
人がいらだったり、不機嫌だったりするのは、あまり長いあいだ立ち通しでいたせいであることがよくある。そういう時、その人の不機嫌に対して理屈をこねあげたりしてはいけない。椅子をさしだしてやるがいい。
9
力いっぱい戦ったあとでなければ負けたといってはいけません。これはおそらく至上命令です。
仕事の幅を広げるこうした冒険は、また心の幅をも広げ、自己認識に風景をそえるものだと、私は言いたい。
楽天主義は意志の所産だが、厭世主義は人間が自己を放棄した時の状態である。
不信の力とは、宣託を聞こうとしないことである。聞けば少しは信用するに違いない。
つまらぬ本を百冊読むよりは、優れた本を百回読む方が、はるかにためになる。
18
実際には、幸福や不幸の原因というものはなんでもないのだ。いっさいは我々の肉体とその作用とにかかっている。そしてどんな頑丈な体格だって毎日、緊張から沈滞へ、沈滞から緊張へと、しかもたいがいは食事や、歩行や、注意の努力、読書、天気の具合などにつれて、移っていくものである。君の気分は、それによって上下すること、まるで波の上の舟と同じことだ。そういうものはたいていは取るに足りないものである。何かしているあいだは、少しも気にならない。ところが、それを考える暇ができ、丹念に考えだすと、たちまち小さな理由が大挙して押しよせてくる。
アランのすべての名言