中村獅童
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相容れない仕事相手と会うときは、視点を変えて、「こいつとは求めているものが違うだけだ」と思うようにすることです。そうすれば自分も楽だし、お互い嫌な気持ちにならない。例えば、モノ作りの職人で、見た目の美しさを求める人と、速さを求める人がいたら、お互い相容れないですよね。同じ土俵で、同じ価値観で見ようとするから、相容れない点に腹が立つんです。
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人を嫌いにならないようにするには、その人のいい面を見つける。そういうふうに生きていくと、自然に人が集まってきて、発展していくことができる。
自分がどうなりたいのか、何をやりたいのか。そのために今、何をしなくてはいけないのか。そういったことを意識するのは大事なんじゃないかな。そういう日々を送っていれば、チャンスが巡ってきた時、絶対見逃さないと思えるんだ。
時代物の経験をきちんと積んでおかないと、さっきもお話ししたように「歌舞伎味がないね」と言われてしまう。
忠太郎は勘三郎のお兄さんにお稽古していただいた、思い出深い演目なんです。
ある意味このコラボレーションってロックで。静かな中に、熱い魂が描かれるような舞台になると思います。「アツイ!アツイ!アツイぜ!」っていう舞台ではないけど、静かな物語の中に熱い魂が存在するみたいな…そんな舞台になればいいと思います。
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僕が特に気をつけているのは、1日が終わったら気持ちを「リセット」すること。連日の舞台で役に慣れきらないよう、翌日は新たな気持ちで臨む。役者だから、芝居の流れや結末は当然知っています。でも舞台では、その一瞬一瞬を初めてのこととして演じなければなりません。
チャンスって、みんなに平等に巡ってくるものだと思う。チャンスが巡ってきた時に、いかにパッとつかむかが大切。才能がなかったり勘が悪かったりすると、チャンスを逃しちゃうんですよ。「おまえこれチャンスだよ」っていう大事な時、才能のある奴はパッとつかんで自分のものにする。でもボーッとしてると、チャンスを逃がしてしまうよね。そのための準備と言えるかどうか分からないけど、僕はアンテナは常に張り巡らせてました。
「ピンポン」のドラゴン役のオーディションには「このチャンスを逃したらもう次はない」という意気込みで、役柄と同じように実際にスキンヘッドにして、眉毛も剃って出かけました。受かった時はうれしかったけど、同時に「窪塚洋介君はじめ、共演者たちには絶対に負けたくない。絶対何かをつかみとってやるんだ」って思い込みながら、撮影に臨みました。
「瞼の母」にしても、長谷川伸先生ならではの「謳って」言わなきゃいけない台詞があるんです。そこをスラスラ~っと流して言ってしまったら、長谷川伸先生特有の言い回しの味わいがなくなってしまいます。
海外の人は10代の女の子でも男の子でも、自分の国の文化や歴史とかある程度のことに誇りを持って語ると思うけど、日本人はきちんと語れる人は少ないですよね。
今も表参道を通ると、ほっとしますよ。都会にいる感じがして。
勘三郎のお兄さんが勘九郎時代に歌舞伎座で忠太郎をおやりになった時に、僕は弟分の半次郎という役をさせていただいたんです。
ショックなことがあっても、「むかつく」で終わったらそれまで。そこから自分でどう伸びしろを作っていくかが大事。
仕事のパフォーマンスを保ち続けるために万全の態勢で臨むことが大切。年々痛感するのが、体調を万全に整えておくことの大切さ。昔と比べて体力が衰えたと思ってはいないけれど、「20代の頃と同じことをやっていてはダメだ」と心がけるようになり、よく考えて行動するようになった。
自分の想い云々よりも、母の喜んだ顔が何より嬉しかったですね。それも含め、いろんな想いがこみ上げました。
心をリフレッシュすることも大事にしています。僕の仕事は1日が完全にオフになることは少ないため、空いた時間を見つけたら、「舞台」や「映画」を観て、刺激を受けるようにしています。お客様がどういうところに吸い寄せられるのかも気になる。客席では「客の視点」で楽しむように、できるだけ何も考えずに観ます。
僕の場合は、歌舞伎の舞台自体も神棚のようだと感じています。舞台に立ち、無事にお役をつとめさせていただくということは、歌舞伎の神様に見守られているということです。歌舞伎は歴史が長く、「名優と言われた先達たちが大切に演じてこられたお役を受け継いでいる」という意識を強く持っています。
一気に伸びる人の共通項は、一見出来が悪いように見えても、とにかく一生懸命に食らいついてくること。
小学生の頃、歌舞伎の舞台に出ていることには、学校では一切触れてほしくなかったんです。
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