中村獅童
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「挨拶」は、すべての人間関係における基本。親しい人ほど「なくてもいい」と思われる風潮があるけど、それは違う。どんなに仲がいい友達だって、挨拶を交わさなくなったら、関係は崩れていきます。コミュニケーション下手ならなおさら、自分から積極的に「挨拶」する。これだけでも周りが変わってきます。
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何かこう、特別扱いされることにすごく抵抗を感じていて、学校では学校の自分、歌舞伎では歌舞伎の自分でいたかったんです。
世の中どうなっちゃうんだろう?と思うことのひとつに、「今しか考えない人が多い」ことがあります。すぐに結果を求めたがる。でも、長期的な視野で「こうしていきたい」と、思い続けて、諦めないことが大事じゃないかな。
勘三郎のお兄さんは「忠太郎みたいな役は獅童に合うよ」とおっしゃってくださいましたし、錦之介の叔父への思い入れもあって、今回、ぜひさせていただきたいなと思いまして。
人間は、どうしても自分のことが一番かわいいものです。「あいつにこんなことを言われたから腹が立つ」「気分が悪い」など自分のことばかり話す人がいますが、僕はそんな人こそ「相手のことを考える」という意識への切り替えが必要かと思います。「どうすれば相手はもっと喜ぶだろう」とイメージするだけで、見えてくる景色は全く変わってきます。
気持ちは20代も30代も40代も変わらないですけど、自分がこれまで経験してきたものを土台に、歌舞伎においても40代のうちに新たなチャレンジをしてみたいと思っています。それが新作という形になるかはわからないですけれど。
絶好の機会はいつも転がっているわけじゃない。だから、狙ったものを100%つかまえるために研鑽を重ねる。これが大事。
海外に行った人は日本人としての自分を、客観的に見て、もっともっと日本人としての「感性を磨かなきゃ」って、思うだろうし今まで以上に「日本人」という自分を大切にするようになるのだろうけど、日本に住んでいるとなかなか見えてこないですもんね。
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やはり母親を想うという気持ちが一番大事だ、と。
試行錯誤は、人からの評価を上げるためではなく、自分のためにするもの。「勝負」の時に自分の力を解き放つための準備。
今や、日本人より外国人の方が日本について詳しいですからね。
みんなと同じなのに「いや、あの子は、歌舞伎の子なんだよ」って言われるのがものすごく嫌だった…。
僕のやっている「役者」という仕事だって、一生かけて見えないゴールを追いかける仕事です。自由な世界に見えるかもしれないけれど、見えないところに向かっていくのは不安だし、苦しい。それこそ長期的なビジョンを胸に、頑張っているつもりです。
ある人が凹んでいる時に、「分かるよ、その気持ち」なんて同情を示す人がいるけど、僕は絶対にそういうことは言わないと決めています。なぜならそれは、「俺は既にその気持ちを知ってるよ」と、言っていることと同じだから。人それぞれに事情があり、考え方だって違うわけだから、「分かる」だなんて軽々しく同情するのは失礼だと思うのです。人が凹んでいたり、悩んでいたりする時には、静かに話を聞く。相談を持ちかけられた時には、「自分だったら……」という話にとどめます。
僕は本来集団行動が得意ではありません。一人っ子で育ち、マイペースな性格だったこともあり、「人と合わせる」ことが苦手。体育やスポーツも嫌いだったので、「チームで何かを成し遂げる」という経験をしないまま成長しました。しかし、役者となって、しかも座頭というリーダー役までさせていただくようになると、「チームプレーは苦手」などとは言っていられない。
とにかく充実した時間を過ごしたいですね。
長谷川伸先生の作品はご自身の経験もあると思いますが、母と子の作品が多いんです。中でもこの作品はストレートに、生き別れになった母親を恋い焦がれる物語。とにかくハートでやる、ということですね。
今、こうやって話しているみたいに、若い人たちに「歌舞伎ってこう」で、「俺はロックも好きだけどそういうのもあって…ファッションもそうだし」、って話すと、みんな「そうなの!?」って、のってきてくれるんです。
海外に行って、じゃあ「キミたちの国の歌舞伎ってどういうの?」って聞かれても、説明できない人がほとんどだもの。
「40歳は人生の折り返し地点」だとよく言われますが、正直、この言葉は嫌いです。40代、50代には、それぞれの突っ走り方があるはずだと思うからです。
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