共同体の内側からだけ見ていると壁の外側の世界が見えません。しかし外側に出てしまえば、内側の一員ではいられない。だから会社で生き残る人間にとって今後一層大切なのは、内だけでもなく外でもない、壁の上に立った視点を持つことでしょう。
養老孟司
養老孟司のその他の名言
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自己実現などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しない。より噛み砕いていえば、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる。
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先生方は教頭の顔を見たり、校長の顔を見たり、PTAの顔を見たり、教育委員会の顔を見たり、果ては文部科学省の顔を見ている。子どもに顔が向いていないということでしょう。
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私は、幸福論など語ろうとは思わない。むしろ馬鹿げているとさえ思っています。だって、今思っている幸せと、後から思う幸せとはまったく別のものだからです。
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貯金通帳に入っている金というのは、使ったらこうだと想像する楽しみがあるだけです。お金を使う権利を持っているというだけの話です。
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どうして「自分に合った仕事」なんて、いわば世迷いごとが流行するのか。「やってみなけりゃ、わかりません」が正解であろう。だからただ「働け」といえばいい。
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いかに住まうかとは、いかに生きるかということです。天災はいつ起こるかわかりません。環境やエネルギーの問題などを考え合わせても、そのときどきで都合のいいところを選んで暮らす生き方があってもいいでしょう。
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人は何かを知り何かを忘れ、生まれ変わり続けている。そういう経験を何度もした人にとっては、死ぬということは特別な意味を持つものではない。
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普通、誤解されて怒っている人は、誤解されることによって損するのは自分だという考えをもっています。でも私は誤解して損するのは相手だというふうに思うようにしています。