植村直己
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私は先へ進まなければならない。憂鬱でも気が重くても、それが私の運命のようなものなのだから、勇気をふるい起こして、先へ進まなければならない。
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それでもみんな元気で、悲愴感というものはみられなかった。
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アマゾン下りも河口まで何千キロあるのかわからないが、きっと成功するだろうという自信を持てた。
自分の足跡を残したい。人の評価でなく、自分でものをつくり出したい。年がいくほど、ますます青春を感じて夢が広がるんです。でも、次に必ず壁はある。それを乗り越えた時、パッとまた新しい世界があります。だから、厳しく自分を鞭打ってやってきた時は、振り返った時、実に爽やかです。
南米大陸最高峰のアコンカグア、北峰六九六〇メートルに立ったのは午後二時十五分であった。やったぞ、やったぞ!プラサ・デ・ムーラスを出発してわずか十五時間十五分。きょうまで誰がこんなスピードで登ったろう。
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自分に敗け、悲愴感をもつようなことは、クライマーには絶対に許されないことなのだ。
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いくら私が冒険が好きだからといっても、経験と技術もなくて、また生還の可能性もない冒険に挑むことは、それは冒険でも、勇敢でもないのだ。無謀というべきものなのだ。それがどんなに素晴らしい挑戦であったにしても、生命を犠牲にしては意味がない。
人間の社会の五里霧中をさまようより、この大自然のガスの中の方が、私にとってはずっと身に合っているのだ。いやいや、この濃厚なガスの中でなら、私にも生き延びる道はあるのだ。気が狂いそうな単調さに耐え抜き、弱音を吐きたがる自分に打ち勝つ以外にない。進むこと、ひたすら前へ進むこと。
やったぞ、やったぞ!
僕はとても臆病なんですよ。高所恐怖症なんで、高いところでは足が震えます。
どんな困難も、冷静にきりぬけられる自信がなくてはならないのだ。
いつも前進があるだけだった。失敗したら逃げ道がないと思った。旅の中止は私が自分なりに積み上げてきた実績を、一挙にフイにすることだ。そうしたら自分はもう何をしたらよいかわからなくなる。最初の屈辱の中に戻るだけだ。
みんな、それぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと、僕は思うんです。
探検家になるために必要な資質は、臆病者であることです。
英語ができないフランス語が出来ないなどと言っていたら、一生外国など行けないのだ。男は、一度は体を張って冒険をやるべきだ。
プラサ・デ・ムーラスを出発してわずか十五時間十五分。
高い山に登ったからすごいとか、偉いとかいう考え方にはなれない。山登りを優劣でみてはいけないと思う。
そうだ、ヨーロッパ・アルプスへ行こう。そして、日本にない氷河をこの目でみよう。
私は五大陸の最高峰に登ったけれど、高い山に登ったからすごいとか、厳しい岩壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。
プラサ・デ・ムーラスを出発してわずか十五時間十五分。きょうまで誰がこんなスピードで登ったろう。
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