植村直己
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これまでの私の山を舞台にした自然との苦闘と違い、アマゾンへの挑戦には、恐ろしい中にも別なスリルの味わいがあった。つね日ごろ宗教心などひとかけらもない私がとにかく真剣に神に祈ったのだから不思議なものだ。しかし自分の力で切りぬけられるときには、祈るよりは立ち向かうべきことを学んだ。
怖いがゆえ、死にたくないがゆえに、自分の技術以上のことをやらないよう、自分に言い聞かせている。
ザイルで体をとめ、切りこんだ氷の上に腰をおろし、寒気と飢えに耐えた。
カメラより山頂の石をみんなに見せた方がいい。
過去のできごとに満足して、それに浸ることは現在の私にはできない。
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もちろん山は危険だ。だが、この危険を克服しなくては登れないのは当たり前だ。
君たちに僕の考えを話そう。僕らが子供の時、目に映る世界は新鮮で全てが新しかった。医者でも登山家でもやろうと思えば何でも出来た。しかし、年をとると疲れてくる。人々はあきらめ、みんな落ち着いてしまう。世界の美しさも見ようとしなくなってしまう。大部分の人が夢を失っていく。
苦労が大きければ大きいほど、後でそれに比例した大きな喜びが返ってくるものなのだ。
こうして五大陸の最高峰を自分の足で踏み、さらにアルプスの中でも特にむずかしい冬期の北壁の登攀に成功したいま、私の夢は夢を呼び起こし、無限に広がる。
しかし、単独登山では厳しいといわれたアコンカグアにしても、全精力を集中すると、十五時間で登攀できた。
ヨーロッパ山行まで、何年かかるかしれないが、とにかく日本を出ることだ。
だから私はモン・ブラン、キリマンジャロ、アコンカグアとひとりで登り続け、そして一九七〇年の春、単独ではなかったが、アジアのエベレスト、さらにまたひとりでいま世界の五大陸の最後の山、北米のマッキンリー登頂にも成功することができたのだ。
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極寒の中、三千キロの氷の上を単独横断するのだから、自殺行為だと誰もがいう。
必ず壁はあるんです。それを乗り越えたとき、パッとまた新しい世界がある。
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南極横断はいまから二年後を目標にしている。
私は思った、ただ前進あるのみだ。山登りとは違い、もういかにわめこうが、流れにさからって戻ることはできない。いよいよひとりぼっちのアマゾンの旅がはじまったのだ。
アフリカのケニヤ山にしても、猛獣におびやかされながらも踏みこんでみると、難なく切りぬけることができた。
旅の出発には、いつもどこから湧いてくるかわからぬ不安感が心のなかに生れ、私を苦しめた。いまも、またそうなのだ。闘志をかきたて全身をひきしめているつもりなのに、漠然とした不安がときおり心を横切る。そして、これをふり払うには、実際に行動を起こすほかないことを、私は知っている。
男は、一度は体をはって冒険をやるべきだ。
山登りはたとえどんな山であろうと、自分で計画し、準備し、自分の足で登山する。その過程が苦しければ苦しいほど、それを克服して登頂して登りきったその喜びは大きい。
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