植村直己
3
もちろん山は危険だ。だが、この危険を克服しなくては登れないのは当たり前だ。
2
高い山に登ったからすごいとか、偉いとかいう考え方にはなれない。山登りを優劣でみてはいけないと思う。
1
私は初志を貫徹しようと決心した。山に登るときと同じように全精力を傾けてことを成せば、たとえ厳しい河といえども、下れないことはないと思った。私はそう決心するともう完全にアマゾンの虜になってしまった。決心のつかないころは、恐怖がつきまとったがいったん決心がつくと私の心はおちついてきた。
0
これまでの私の山を舞台にした自然との苦闘と違い、アマゾンへの挑戦には、恐ろしい中にも別なスリルの味わいがあった。つね日ごろ宗教心などひとかけらもない私がとにかく真剣に神に祈ったのだから不思議なものだ。しかし自分の力で切りぬけられるときには、祈るよりは立ち向かうべきことを学んだ。
苦労が大きければ大きいほど、後でそれに比例した大きな喜びが返ってくるものなのだ。
怖いがゆえ、死にたくないがゆえに、自分の技術以上のことをやらないよう、自分に言い聞かせている。
ザイルで体をとめ、切りこんだ氷の上に腰をおろし、寒気と飢えに耐えた。
きょうある命も、明日あるとは限らない。
カメラより山頂の石をみんなに見せた方がいい。
過去のできごとに満足して、それに浸ることは現在の私にはできない。
この厳しい壁も、きっとオレは生きぬけられるぞ、と自分にいいきかせた。
しかし、単独登山では厳しいといわれたアコンカグアにしても、全精力を集中すると、十五時間で登攀できた。
ヨーロッパ山行まで、何年かかるかしれないが、とにかく日本を出ることだ。
必ず壁はあるんです。それを乗り越えたとき、パッとまた新しい世界がある。
7
君たちに僕の考えを話そう。僕らが子供の時、目に映る世界は新鮮で全てが新しかった。医者でも登山家でもやろうと思えば何でも出来た。しかし、年をとると疲れてくる。人々はあきらめ、みんな落ち着いてしまう。世界の美しさも見ようとしなくなってしまう。大部分の人が夢を失っていく。
アフリカのケニヤ山にしても、猛獣におびやかされながらも踏みこんでみると、難なく切りぬけることができた。
こうして五大陸の最高峰を自分の足で踏み、さらにアルプスの中でも特にむずかしい冬期の北壁の登攀に成功したいま、私の夢は夢を呼び起こし、無限に広がる。
この状態では、明日はどうなるかわからない身だ。
男は、一度は体をはって冒険をやるべきだ。
それでもみんな元気で、悲愴感というものはみられなかった。
植村直己のすべての名言