藤田田
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ふり返ってみると、こうした絶体絶命のピンチに陥ったとき、私は反発し発奮し、窮地を脱してきた。もうダメだと思って諦めて、自分で自分の命を絶つ方法はとらなかった。それがよかったのだ。
ユダヤ商法に商品は2つしかない。それは「女」と「口」である。
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30歳までに金を貯めて、海外へ出て40歳で起業しろ。財産ができたらそれを3分の1ずつ使って三回商売にチャレンジしてみろ。
本を読め、人と会え、街を歩け。
藤田商店。
政治が消費の拡大に全く無能である以上、われわれは自己防衛せざるを得ない。景気循環説は通用しない時代に入っているようだ。
1970年代は、超国家企業の時代である。マクドナルドこそ、典型的超国家企業であり、マクドナルドの全社員はアメリカ人でも日本人でもないマクドナルド人間、すなわち世界人である。われわれは世界人の企業として、まずは自己のため、さらに世界のために働かねばならない。
社長たるものは明日返事するよりは、間違ってもいいから、今日答えるべきである。もし間違っていることに気付いたら、訂正するばいいのである。
満塁ホームランよりゴロやバントを狙え。人生は博打ではない。人生には満塁ホームランはありえないのだ。ゴロとかバントで塁を一つずつ進めていく。それが人生である。満塁ホームランというのは天才のやることである。そんなことを夢見ていたのでは、失敗してしまう。
脳みその中は、常に柔らかくしておいて、既成概念などふっ飛ばしてしまう事が、先見の明に繋がる近道でもある。
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山のてっぺんからモノを落とすのと、山のすそからモノを転がすのと、どっちがやりやすいのかというと、当然、てっぺんから流したほうがいいにきまっている。27年前に、デパートを説得してダイヤモンドを売出して大ヒットさせたのを手始めに、わたしは、この法則を守って成功した。
昭和50年4月1日は、日本の人口分水嶺、すなわち昭和20年8月15日を境に、それ以前と以後に生まれた日本人の比率が、50対50になる日である。戦後生まれを顧客の主軸とするわが社は4月1日以降、毎日3000人ずつ客が増加していくことになる。まさに「追い風」である。
必要なのは、絶対100パーセント成功するという思い込みではなく、絶対成功する、させてみせると自分で信じることである。要するに「思いは真実になる」ということを、自分で自分自身に信じさせることである。自信過剰なくらい自分で信じることである。
日本も資本主義国家なので、合理主義で戦わなければなりませんが、日本にはいい意味での浪花節も必要なんです。
お目にかかりたいと電話したら、すぐに時間を取ってくれた。当時、松下幸之助さんは天下の有名人で経営の神様だ。一方、私はただの中小企業のおっさん社長。にもかかわらず、直接会ってくれて、ビジネスに必要な心得を教えてくれた。そりゃ、偉い人だ。偉い経営者だ。
生活の中では数字と無縁でいて、商売の時だけ数字を持ち出すのでは遅すぎる。
「きれいな金」「汚い金」といった金銭感覚はすぐさまきれいさっぱり捨ててしまうことだ。捨ててしまって、金儲けは人生の最重要事項だと心得ることだ。
我が国において企業と称すには最低1000億円の年間売り上げが必要である。これに至らぬものはいかに有益な企業でも、社会的貢献度においては所詮」井中の蛙」にすぎない。われわれが日本のファースト・フード界をリードする者であると自負するためには1000億円企業であるべきである。
経営者にとって重要なのは魂だ。経営者には日本の文化に貢献するといった使命感がなければいけない。
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人の上に立つためにも、数字を使わなければならない。数字の持つ客観性こそが、人を説得するのである。
藤田田のすべての名言