ルキウス・セネカ
4
時間が足りないのではない。時間をみすみす浪費しているから、そう思うに過ぎない。
1
つまづいた人のために手を差し伸べようと身をかがめないのは、正義の拒絶である。それは人類共通の正しい行ないなのだから。
0
ある者は過去の記憶を蒸し返して、われとわが身をさいなみ続ける。
3
誰かに起こりうることは、誰にでも起こりうることである。
仕事というものは人間にとって、心の栄養みたいなものです。
老人が長く生きてきたことを証明するものを、年齢以外に何も持っていないことほど不名誉なことはない。
険しい道こそが、偉大なる高さに結びつくのである。
真の幸福は現在を楽しむことだ。希望や不安で気を散らせ、ひたすら将来に望みを託すのではなく、無欲であることで自分がすでに十分に持っているもので満足し、泰然自若として暮らすことだ。人間が神から恵まれたものは、我々の内にあり、手の届くところにある。賢者はいかなる運命であれ、おのれの運命に満足し、自分が持っていないものを乞い願わない。
2
神に見られているかのように人間の中で暮らし、人間が聞いているかのように神に話しかけよ。
およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って、不幸にならない前に不幸になっている心です。
5
恐怖の数のほうが危険の数より常に多い。
ごくわずかな人を除いて他の人々は、人生の用意がなされた途端に人生に見放されてしまうというのである。このような彼らのいわゆる万人に共通な災いに嘆息するのは、単に一般の大衆や無知の群集だけのことではない。著名な人々にさえも、このような気持ちが嘆きを呼び起こしている。それゆえにこそ、医家のなかでももっとも偉大な人物の発言がある。いわく「生は短く術は長し」と。
過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる者の生涯は短く、悩み事が多い。
不幸な人の共通の過ちは、わが身に幸せが訪れることを、決して信じたがらないことである。
富というものは、それを必要としていない人の元へ集まるものなのです。
人がいるところには必ず、親切を施す機会がある。
我々は眼の中に他人の欠点を、背中に自分の欠点を持つ。
死がいかなる場所において汝を待ち受けているか不明なり。ゆえに、いかなる場所においても死を待ち受けよ。
困難は精神を鍛え、労働は身体を鍛える。
万人を信じるのと万人を信じないのとは、間違いの大きさにおいて同じである。
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