豊田章男
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僕がピンチはピンチと言ったらおしまいでしょ。
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自分たちが「なんでこんなことをやるのかな」と疑問に思うことは全部やらなくていい。「こうやったら、面白いのにな」と思うことをやりなさい。
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競争相手とルールが大きく変わろうとしている。建設的破壊と前例無視が必要だ。
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「もっといいクルマ」と言い続けていますが、自分はそのために感性を磨いているつもりです。自分がフィルターだからです。フィルターが汚れているときれいな水は流れない。自分がもっといいクルマのフィルターになろうとすれば、いろいろな車に乗ったり人と話をしたりする必要があります。
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資本主義にも原理資本主義的なものもあれば、国家資本主義と言われるものもある。私の理想に一番近いのは、公益資本主義です。
僕は背負ってるというより支えられてるって感じなんですよ。
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最近、しばしば若者のクルマ離れがメディアの俎上にのぼりますが、たとえば、シニアのユーザーの方々がクルマの運転を楽しんでいる姿を若者の皆さんに見せていただければ、「あっ、クルマの運転って楽しいんだなあ」と感じてもらえるきっかけになる気がします。私の場合は、クルマが身近にある環境に育ったものですから、クルマを運転する楽しさが身に沁みています。いろんな意見がありますが、やはりいつの時代も若者はクルマが好きだと思いますよ。
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持続的成長のために、商品と人材で年輪を1本ずつ刻んでいきます。それにはペース配分が大切です。トップが、普通の木を10年で屋久島の屋久杉にしようと言って突き進むと、どこかで折れてしまう。それを私はやらない。私は太陽となり、土となります副社長が水をまき、多少色気のある本部長は肥やしをやる。
幸せそうな顔をすることが、みんなの幸せになる。
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トップにはトップにしか分からない苦しみがある。判断と責任を取ることが社長の仕事だ。
私にはこうすればいいという明快な回答はない。でも、もっと多くの笑顔が欲しいとか、昨日より今日を良くしようという意志は強い。絶えずベター、ベター、ベターで会社が動かなければ、持続的成長はできません。そう言い続けてきたことで、現場のリーダーたちが自分で考え、悩み、案を出す。回答を言わないが故に、私が考えるより優秀なアイデアが「リーダ一ズ」から出てくるので、それを活用する。そのスパイラルを増やした方が、これだけの規模の会社にはいいのです。
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私が考えるクルマの味つけには先味、中味、後味の3つの味があります。先味は、そのクルマを見たときにオーラのような衝動を感じて「ああ、乗ってみたいな」という感覚です。見た目のデザインや広報宣伝などの刺激も先味の一種です。中味は、実際に乗って運転した感覚です。たとえば、カーブを曲がるにしても、ドライバーがこっちに曲がりたいなと思う方向に気持ちよく曲がってくれる。まさに快感、快適な乗り心地のよさで、今回発表の新型クラウンの中味はズバリそのものです。後味は、乗り終わったあとも乗り心地のよさの余韻が続き、「もっと乗っていたい、もう一度乗りたい」という感覚です。先味、中味、後味の三拍子揃ったクルマこそが本物のよさにつながります。これは、本物の美味しい料理を食べることと同じです。
移動するということは生きることと同じなのです。
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人間は誰しも少し見栄を張ったり、かっこよく見せたいという心理があります。そういう意味でクルマというのはたんなる工業製品ではなく、乗る人にステータスシンボル的な満足を提供してきた商品といえます。だからこそ、「ワクワクしなければクルマじゃない」「楽しくなければクルマじゃない」というエモーショナルな満足感が求められるのです。
次の社長に会社を渡すとき、畑にはまだ耕す部分もあれば、種をまいたばかりの場所、収穫を間近にした場所、収穫がちょうど終わった場所もある。そんなバランスのいい状態で渡したい。目の前の結果を追い求めて刈り取ってばかりだと、荒れた畑しか残せなくなります。
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トヨタの強みは20年、30千年先の未来に挑戦し続けるベンチャー精神。
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自分が社長を何年やるかわかりません。でも、次の次の次の社長に会社をどういう状態で渡せるかを常に考えています。
私が社長になってクルマを乗り回すと、たまに社内から「社長なんだから自重せよ」みたいなご批判も賜わります。しかし、自動車メーカーの社長が自分でハンドルを握って何が悪いのかという気持ちもあります。社長になってから運転機会は減りましたが、新型車の乗り心地やデザインなどを含めて私自身が運転確認して常に最高最良の商品をお届けすることが自動車メーカーの経営トップの使命と考えています。
持続的成長のエンジンは、もっといい車作りと人材育成に他ならないと考えております。
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「アフター改善はビフォアー改善」をトヨタは続けている。我々は日々、改善に取り組んでいく。昨日まではこれがいいと思ってやっていても、違っていたらまた変えればいい。それを絶えずやり続けている。
豊田章男のすべての名言