デール・カーネギーの名言
著作家、自己啓発トレーナー
デール・カーネギーの名言。全229個。
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動かないことが疑いと恐れを生み出す。行動は自信と勇気を生み出す。もしあなたが恐れを克服したいと思うのなら、家の中で座って考えたりしてはいけない。外に出て、忙しくするのだ。
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私はイチゴクリームが大好物だが、魚はどういうわけかミミズが大好物だ。だから魚釣りをする場合、自分のことは考えず、魚の好物のことを考える。
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悩み事は、散歩して忘れるのが一番だ。まあ、ちょっと外へ出てみたまえ。ほら、悩みごとなんか、翼が生えて飛んで行ってしまう。
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およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということを、よく心得ておかねばならない。
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もし人生に退屈しているなら、何か心からやり甲斐があると信じている仕事に没頭することだ。「この仕事こそ生き甲斐だ、死んでも悔いはない」という気持ちで働けば、夢のような幸福な人生が訪れる。
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幸福になりたければ、何か目標を立てて、それに自分の考えのいっさいを注ぎ込み、今まで抑えられていた底力を一斉に解放し、希望を高めることだ。
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あなたが明日出会う人々の四分の三は、「自分と同じ意見の者はいないか」と必死になって探している。この望みを叶えてやるのが、人々に好かれる秘訣である。
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一見たいしたことのない仕事でも、思い切って全力を注ぐことだ。仕事を一つ征服するごとに実力が増していく。小さい仕事を立派に果たせるようになれば、大きい仕事の方はひとりでに片がつく。
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幸福は、あなたが何を持っているのか、あなたが誰か、あなたがどこに何処にいるのか、あるいは、あなたが何をしているのかで決まるものではない。ただ、あなたが何を考えるかで決まるのだ。
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気のふさいだ馬を見たことがあるか?しょげかえった小鳥を見たことがあるか?馬や小鳥が不幸にならないのは、仲間に「いいかっこう」を見せようとしないからだ。
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常に心を変化に向けて開いておこう。変化を歓迎しよう。もてなそう。自分の意見や考えを何度も検討し直して、初めて人間は成長できるのだ。
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私たちは皆、生きることを先延ばしにしている。今日、窓の外に咲いているバラを楽しむ代わりに、水平線の向こうにある魔法のバラの園を夢見ているのだ。
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ちょっと手を休めて、窓の外の美しさを眺めよう。そこに世界がある。楽しもう。今夜外へ出て、星空を眺めよう。それは大自然の驚異だ。
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私が掲げるアイデアは私のものではない。私はソクラテスから借用し、チェスターフィールドからくすね、キリストから盗んだ。それを本にも書いた。彼らの鉄則が気に入らないなら、誰のアイデアを使えばいいんだ?
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あなた自身とあなたの現状を哀れに思うことは、単にエネルギーの無駄遣いだというだけではなく、人間が持ちうる最悪の習慣である。
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今度、何か手のつけられないような困難に出合ったら、思いきってその中へ飛び込み、不可能と思っていたことを可能にすることだ。自分の能力を完全に信頼していれば、必ずやれる。
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人は誰でも、他人よりも何らかの点で優れていると考えていることを忘れてはならない。相手の心を確実に掴む方法は、相手が相手なりの重要人物であるとそれとなく、あるいは心から認めてやることである。
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たとえ教養があり、しっかりした判断力があり、考えが理知的であっても、心を打ち込んで思考し行動することを知らないうちは、隠れた才能の存在は、誰にもわからない。本人ですら知らないのだ。
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仕事が面白い「ふり」をすると、それだけで仕事が本当に面白くなるから妙だ。疲れをあまり感じなくなるし、緊張も解け、心配も和らぐ。
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恨みを抱くな。大したことでなければ、堂々と自分のほうから謝ろう。頑固を誇るのは小人の常である。にっこり握手して自分の過ちを認め、いっさいを水に流して出直そうと申し出てこそ、大人物である。
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家族や友人や同僚のやる気を起こさせる唯一の方法は、協力したいと思わせることだ。そして、感謝して正当に評価することと、心から励ますことなのである。
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ビジネスで成功する一番の方法は、人からいくら取れるかをいつも考えるのではなく、人にどれだけのことをしてあげられるかを考えることである。
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悩み事は次の三段階の解決策によって克服することだ。1.まず最悪の事態を考えてみる。2.どうしても避けられないとわかったら、あっさり覚悟を決める。3.次いで、気を落ち着けて、事態の改善に取りかかる。
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もし自分の心をとらえて離さない考えがあれば、やかましい世間の合唱には耳を貸すな。「内なる声」が告げることにだけ、耳を傾けることだ。
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過去を建設的なものにする方法は、天下広しといえども、ただ一つしかない。過去の失敗を冷静に分析して何かの足しにする。あとは忘れ去ることだ。
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もし結婚生活が暗礁に乗り上げそうになったら、自分の伴侶の好ましいところと、夫や妻としての自分の至らないところを表にして比較してはどうか。人生の転機となるかも知れない。
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この問題の焦点は、物事を突き詰めて考えすぎないことだ。くだらない悩みは笑いで吹っ飛ばそう。笑って悩みを追っ払うことは決して不可能ではない。
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私たちは聖者と違って、自分の敵を愛するのは無理かもしれない。けれども、自分自身の健康と幸せのために、少なくとも敵を許し、忘れてしまおう。これこそ賢明というものだ。
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忘れてはいけない。幸せはあなたが何者であるか、あるいは、何を持っているかによって決まるのではない。何を考えるかによって決まるのだ。
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優柔不断は疑いと恐怖心を生み出し、行動は勇気を生み出す。恐怖心を克服するには、家に閉じこもってくよくよしていては駄目だ。外へ出て仕事に精を出すことだ。
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同じ場所で同じ仕事をし、名声も財産も同じような二人の人間がいても、一人は幸福で一人は不幸だ。理由は精神の持ちようが違うからである。
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責任をとって仕事をする人間は、会社、工場、その他どんな社会においても、必ず頭角を現す。責任ある仕事を歓迎しよう。仕事の大小を問わず責任を果たせば、きっと成功する。
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恐ろしくなったら、自分のやるべき仕事のことを一心に考えることだ。すっかり仕事に対する心構えができれば、恐怖心は消え去る。
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私たちが敵に憎しみを感じると、むしろ自分自身が敵に支配されることになる。そしてその支配力は私たちの睡眠・食欲・血圧・健康・幸福にまで及んでくる。
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他人のために尽くすことだ。そうすれば、つまらない劣等感など、七月のとうもろこし畑にかかる朝露のように、跡形もなく消え失せてしまう。
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今こそ「人生」という素晴らしい冒険をこの地球上で行える唯一の機会である。だから、できる限り豊かに幸福に生きる計画を立て、実行することだ。
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自分のふさぎきった心を口笛で吹き飛ばして、他人までふさぎの巻き添えにしないように気を配る者が、もっといてもよさそうなものだ。
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私たちが避けようのないものに文句をつけ、反抗してみたところで、避けようのないもの自体を変えることはできない。だが、自分自身を変えることはできる。
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我々には自分のまだ知らない能力が隠れている。夢としか思えないようなことを成し遂げる力がある。誰でもいざとなったら立ち上がって、前には不可能と思えたことでも立派にやり遂げることができるのだ。
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もし親切で、寛大で、幸福で、自分のプラスになる事柄だけを考えるよう心がければ、心の中のどこにも憎しみなどは起こらない。そして人生は満足感で満たされるようになる。
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「幸福になる」という決心をしてその決心を貫き通せば、本当に幸福になれる。人が幸福になるかどうかは心の持ち方次第である。財産や名声では決して決まらない。
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子供の大望を聞いて笑ってはいけない。子供にとって、笑いはからかいを意味することが多く、からかいほど心を苦しめるものはない。
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人間一人では生きられないが、頼れるのは自分自身であると思います。従って、幸せも他人に求めるのではなく、自分に求めて行きたいものです。
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笑顔は元手が要らない。しかも、利益は莫大。与えても減らず、与えられた者は豊かになる。一瞬間見せれば、その記憶は永久に続く。
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忘恩は雑草のごとく自然である。感謝はバラのようなものだ。それは肥料を施し、灌水し、培養し、愛しかつ保護してやらなければならないのだ。
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熱中は単なる上っ面だけのものではなく、内面から働きかける。熱中は、自分の取り組んでいる事柄の何かある一面に心底からほれこむ場合に、生まれてくる。
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相手を腹の底から笑わせることができれば、友人になる道が開ける。相手が一緒になって笑うのは、いくらかでもこちらが好きな証拠だ。
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熱中を得る方法は、自分の手がけている事柄を正しいと信じ、自分にはそれをやり遂げる力があると信じ、積極的にそれをやり遂げたい気持ちになることである。昼のあとに夜がくるように、ひとりでに熱中がやってくる。
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自分のほしいものが手に入らなければ、自分が今持っているものに対して感謝することだ。些細なものが手に入らないからと愚痴を言わないで、自分には感謝すべき大きなものがあることを常に考えるべきだ。
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ぜひやり遂げたいと思っている仕事が途中でうまくいかなくなっても、あっさりと投げ出して敗北を認めてはならない。何か他のやり方を試みることだ。音の出る弦は一本だけではない。他の弦を見出せばよいのだ。
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相手の心の中に強い欲求を起こさせること。これをやれる人は万人の支持を得ることに成功し、やれない人は一人の支持者を得ることにも失敗する。
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死ぬまで人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえいればいいでしょう。その批評が当たっていればいるほど、効果がてきめんです。
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誤解は、議論をもってしては永遠に解けない。気転、外向性、慰め、いたわり、そして、相手の立場で同情的に考える思いやりをもってして、初めて誤解は解ける。
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まず相手を褒めておくのは、歯科医がまず局部麻酔をするのによく似ている。もちろん、あとでガリガリやられるが、麻酔はその痛みを消してくれる。
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人間は理性の動物ではない。感情に動かされやすい、偏見に満ちた、自負心に動かされて行動する動物である。人を相手にする時は、常にこの心掛けを忘れないことだ。
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幸不幸は、財産、地位、あるいは職業などによって決まるものではない。何を幸福と考え、また不幸として考えるか.....その考え方が幸不幸の分かれ目なのである。
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われわれはお互いに相手を尊敬すべきだ。どっちみちお互い大した人間ではないのだから。百年もすれば完全に忘れ去られてしまう。人生は自分の手柄話をとくとくと述べたてるには短すぎる。相手に話をさせよう。
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ソクラテスは、相手の誤りを指摘するようなことは、決してやらなかった。いわゆる「ソクラテス式問答法」で、相手から「イエス」という答えを引き出すことを主眼としていた。
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チャンスが目の前に現れた時にこれを掴む人間は、十中八九成功する。不慮の事故を乗り越えて、自力で自分のチャンスを作り出す人間は、百パーセント成功する。
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他人のために何か尽くしてやることだ。常に人に親切を尽くし、友人のような心で接すれば、あなたはその素晴らしい結果に驚くことだろう。
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私たちの人生を彩るさまざまな事象のうち、およそ90%は正しく、10%は誤りである。幸福を願うのなら、正しい90%に力を集中し、誤った10%は無視すればよい。
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自分のことで卑屈になったり、引っ込み思案になったりしがちなのを克服する最上の方法は、他人に興味を持ち、他人のことを考えることだ。気おくれなど嘘のように消え去ってしまう。
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眠れなければ、床の中でくよくよしていないで、起き上がって何かをすればよい。疲れるのは心配するからだ。眠れないからではない。
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牧場の奏でる調べや、森をたたえる交響曲に耳を傾けるひまもなくなるほどあくせく働いたり、せかせかしたって始まらない。この世には富よりはるかに重要なものがある。楽しみを味わうささやかな心がけもその一つだ。
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なぜ自分の愛犬をしつける時に用いるのと同じ方法を、人間に応用しないのだろう。なぜ鞭の代わりに肉を、批評の代わりに賞讃を用いないのだろう。
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私は、男だろうと女だろうと、暮らしをたてるために働かねばならぬ人々を気の毒だと思ったことはない。しかし自分の仕事に打ち込めない人間は、大いに気の毒だと思う。
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地位を向上したければ、じっと手をこまねいていないで、いっそうの努力に励むことだ。これは苦しいし、へとへとに働かねばならないが、長い目で見れば、必ず得るところがある。
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毎時間ごとに自己と対話すれば、勇気あるものの見方、幸福になるものの見方、力強いものの見方、安らかなものの見方のできるように、自分を方向づけることができる。
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度胸が欲しければ、恐ろしくて手が出ないことに挑んでみることだ。これを欠かさずやり続けて、成功の実績を作るのだ。これが恐怖心を克服するための最も迅速でしかも確実な方法である。
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事態を好転させるチャンスがある限り戦うべきだ。けれども、常識で判断してもはや万事休すとなれば、「悪あがきをしたり逆転を望んだりしない」ことが正気の沙汰というものだ。
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もし一日だけ親切にし、思いやりを示すことができれば、もう一日続けることができる。これには一銭もかからない。今日から始めよう。
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もし約束を破れば、相手から盗みをしているのだーといっても金を盗んでいるのではない、「人生」の銀行から時を盗んでいるのだー相手にとって一生取り返しがつかない時を。
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もし自分が間違っていたと素直に認める勇気があるなら、災いを転じて福となすことができる。過ちを認めれば、周囲の者がこちらを見直すだけでなく、自分自身を見直すようになるからだ。
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相手は間違っているかもしれないが、彼自身は自分が間違っているとは決して思っていない。だから、相手を非難しても始まらない。