松下幸之助
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すべての物事があわせもつプラスの面とマイナスの面。そのプラスの面に目を向けて、みずからの幸せ、社会の発展につながるよう努めていく。そうすれば、苦労や悩みが消えて、ことごとく、自分の人生の糧、社会の発展の糧となる姿も生まれてこよう。そのような考え方に立てば、本来、苦労や悩みなどはない。本来、ないものがあるのは、自分が何かにとらわれた考え方をしているからだということなのかもしれない。
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窮状に陥っても悲観しないことです。自分は財産が一瞬にして無くなったことがありました。しかも莫大な個人負債ができたんです。普通は首でも吊ってしまわなければならないほどの困難な状態ですわ。しかしこれでも死んでいる人よりましや、弾に当たって死んだ人もたくさんあることを思えばぼくは恵まれてる、こんなに恵まれている自分は幸せや、ありがたいことや、そう思ったら悲観することはない。それで歓喜をもってこの困難に取り組んでいこうと考えてやってきたと思うんですよ。
会社の経営でも何でも、素直な心で見るということが極めて大事であると思う。そうすれば、ことをやっていいか悪いかの判断というものは、おのずとついてくる。岡目八目というけれど、渦中にいる自分にはなかなか自分というものがわからない。だから意地になってみたり、何かにとらわれたりして、知らず知らずのうちに判断を誤ってしまう。やはり自己観照ということが大事である。とくに経営者が決断するときには、この心構えが不可欠のように思う。
鳴かぬなら、それもまたよし、ホトトギス。
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩の厳しい叱責、後輩の純粋な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
きみな、赤字というのは、人間の体で言うたら、血を流してるのと一緒や。体から血が流れっぱなしやったらどうなる?死んでしまうわな。死んだらいかんから、血を止めないかんな。
僕はこれまでにたくさんのご夫婦を見てきましたが、あまり上手くいっていないご夫婦はどうもあまり褒めあっていないように思える。その反対に、上手くいっているご夫婦は、巧まず自然のうちにお互いが褒めあっている。そういうことがいえると思うのです。人間というものは他人から褒められるのも嬉しいものですが、自分の奥さんなり、ご主人からそういうことを言われるとひとしお嬉しいものです。
人間のやることですから、いろいろなことがあります。しっかり理念をふまえてやる人も、勢いに任せてやる人もいる。そんなときにはやっぱり注意してやらないといけません。注意を怠ったら、その人を捨て去ってしまうのと一緒ですわ。
心があって物があって、その心の力が物の力を支配して、はじめて人としての真のゆたかさが生まれてくる。
人の上に立つ者にとって、部下の長所を伸ばし育ててゆくことが何より大切であるが、その長所を見出すには、まず自分が謙虚な心をもつ必要があると思う。みずからが謙虚になってこそ、部下のよさもわかり、その長所が自然と見えてくるというものであろう。
商売というものは、売る方も買う方も双方が喜ばなければいかんものです。買った人は、こういうものが買えて良かった、大変便利だとか、豊かになったとか、そういう喜びを持つ。売った者も、その喜びを感じてもらうと同時に、利益も残ったというふうにね。
商売というものは単なる売り買いでなく懸命な奉仕であり、そこに良き心が通いあわなければならない。誠意をもって事に当たってこそ、その人の言葉、態度に深い味わいが生まれ、それが人の心を動かす。
半分は先輩から教えてもらう、半分は部下から教えてもらう。
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人がこの世に生きていく限り、やはり何かの理想を持ちたい。希望を持ちたい。それも出来るだけ大きく、出来るだけ高く。
「ありがとう」と言う方は何気なくても、言われる方はうれしい、「ありがとう」これをもっと素直に言い合おう。
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きみ、商品を抱いて寝たことがあるか?
販売にあたっては、いかにすればお得意様に喜んでいただけ、どういう接し方をすればご満足願えるかを考えることに尽きる。妙案奇策のあまりない販売の世界の中で特色を発揮するために、何が基本になるかというと、お互いの誠心誠意である。そして話す言葉ににじみ出る気持ちが、何よりも大切である。
精神的には何歳になろうとも、青年時代と同じ気持ちを持ち続けることができるはずだ。その精神面での若さというものを決して失いたくないというのが、かねての僕の願いなのである。
志低ければ、怠惰に流れる。
勇気は公のためにやるという立場に立てば、おのずから湧いてくるものである。
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